2017年4月2日日曜日

強さが強さを生む?

4月2日の試合

阪神 0-1

広島 2200X-9

 勝 九里1勝
 負 能見1敗
 本塁打 糸井1号

阪神の先発が能見につき、きのうにつづいての左投手仕様のスタメンだった。
ただし開幕3戦目にして捕手は會澤が起用された。

正直、ちょっと驚いた。

「會澤でいいの?」
そんな疑念がわいた。

「打てる捕手」として期待値が高かった會澤だが、素人目に見てもいくつかの欠点があった。
インサイドワークが稚拙だとか、キャッチングが悪くてパスボールが多いとか、なによりも投手との呼吸というのか、リズムというのか、それが欠けていたように見えた。

この試合でも、そんな欠点が出なければいいがと心配したのだが、それは杞憂に終わった。

去年までの彼とは別人のようにインサイドワークは冴え、バスボールもなく、なによりもピッチャーとの呼吸がぴったり合っていたように見えた。

そろそろ本気で石原の後継者を育てなければヤバい時期に来ているカープ。
ようやくその候補のひとりが覚醒してきたようだ。

覚醒といえば、九里はどうしちゃったのだろう。
これも去年までとは別人のような投手に変身していた。

技術的にはジョンソンのアドバイスで、からだのブレをなくすためにセットの足の位置を変えて歩幅を狭くしたということだが、右打者のインコースに食い込む黒田ばりのフロントドアには目を見張るばかりだった。

気のせいかマウンドでの所作に貫禄が漂ってもいた。

前田健太が抜けた昨年は、野村祐輔が大化けして穴を埋めた。
黒田博樹の代わりとなれる投手がいるとは思えないが、九里の成長がすこしは頼りになりそうではある。

野手でいえば、丸がさらにステップアップしたようだし、堂林が代打でさっそく結果を出したのも吉兆だ。

阪神のバタバタにも助けられたとはいえ、カープの良さばかりが目立った試合。
去年のチーム力の強さに、さらに強さが増幅されていきそうな可能性を感じたのだが、買い被りでしょうかね。




「なんともうしましょうか。」

4月1日の試合

阪神 42002-8

広島 30022101-9

 勝 中崎1勝
 負 ドリス1敗
 本塁打 丸1号 鈴木1号
阪神先発が左腕の岩貞ということで、レフトにエルドレッド、サードには小窪が入ってのこのオーダー。
先発投手は岡田明丈投手だった。

その岡田が4回を投げて与四死球7の大荒れ。連られたように岩貞も5回で5個の大ふんぱ。
両チームとの中継ぎ抑えもしまりなく、合わせて28個の四死球が乱発されるという締まりのない試合になってしまった。

「なんと申しましょうか。」


まるでエイプリルフールの冗談のようなゲームを見せられて、頭に浮かんだのがこの言葉だった。

昭和30年代にプロ野球解説者だった小西得郎が、ある選手の股間を硬球が直撃したときにアナウンサーに話を振られてとっさに漏らしたという名セリフ。
言葉にならない痛さ、うめくしかない状況を表現して見事としかいいようがない。

このセリフはまた、時代の空気をも表して的確だったのだろう、当時の流行語にもなった。
いたるところで、オトナたちが微妙な苦笑を浮かべながらこの言葉を発するのを、こどものころに散々聞かされたものだった。

この試合でいえば、熱心に観戦しているこちらの興趣に大暴投の硬球が直撃して、この言葉とともに「はらほろひれはれ」と、気持ちが萎えてしまった感じとでもいったらいいだろうか。

それにしても、この大記録の立役者となった岡田投手。
シーズンを前に制球をよくしようとフォームを改造してまでのぞんだ初戦で、こんなことになってしまって心中複雑な思いだったことだろう。

なんでも1試合最多与四死球のプロ野球記録で、1937年9月12日の金鯱対ライオン戦以来80年ぶりの“快挙”だという。

1937年といえば、プロ野球がはじまった翌年のこと。創世期まっただなかで、まだどのチームも、ふわふわとしてメンバーも固まらない前の頃のことだ。

たとえば金鯱の投手事情といえば、前年に5人の布陣ではじまり、途中ひとり抜けての4人体制だった。
その結成時の名前と年齢、そして出身を一応列挙しておくと、

 金子  裕 22 鎌倉中
 古谷倉之助 25 八王子中
 内藤 幸三 20 東京市商
 平川喜代美 24 アイエア高

なんとこの名簿に、カープ球団初の開幕投手となった内藤幸三の名前が見える。

なんと申しましょうか…、球筋の定まらなかった岡田投手の投球が、実はピンポイントでカープ史の源流にぼくたちを導いてくれていたのですね(笑。

せっかくなので、そのときのスタメンを紹介しておきましょうか。
これがその記念すべき試合でスコアボードに並んだカープのスタメンです。


このとき内藤幸三、34才。
3月10日平和台球場でのことで、対戦相手は西日本パイレーツ。残念ながらカープは5対6で惜敗し、内藤に勝ち負けはつかず。

そして4日後の広島総合球場での国鉄戦に先発した内藤が、カープ史上初の勝利投手となっているのですね。

一方のライオンはといえば、このときの監督が「なんと申しましょうか」の生みの親である小西得郎でした。

で、どんな投手がいたかといえば、下記の通り。

 菊矢 吉男 22 関大
 桜井七之助 19 神奈川工
 近藤  久 19 名古屋商
 村田 重治 20 京橋商

ということで、それぞれの投手の力量はいざ知らず、布陣としてお寒かったことは一目瞭然。

こんな投手事情だったころのグラウンドと同じようなことをしてちゃいかんでしょ。


















2017年4月1日土曜日

2017開幕スタメンから見た今季のカープ

3月31日の試合

阪神 203201002-10

広島 010003110-6

 勝 メッセンジャー1勝
 負 ジョンソン1敗
 本塁打 新井1号 福留1号

いまかいまかと待ちわびていた開幕試合。
2017シーズン最初のカープのスタメンは、上のようなものだった。

たった1日の、ある日のメンバー表といってしまえばそれまでだが、開幕戦ということでここには首脳陣の今シーズンの戦い方が端的にあらわれているだろうし、今年のカープのチーム事情も背後に読み取れるはずだ。

ちなみに去年の開幕スタメンは下のようなものだった。


こうして見ると、かなりメンツは変わっている。

4番サードのルナが消えて新井にかわり、サードには安部が入った。
レフトには5番で松山、ライトは下水流から鈴木になっている。

しかし、このスタメンは昨年のペナントレースの戦いのなかで固まって行ったオーダーとほぼ同じ。
つまり去年の「強かったカープ」のオーダーで開幕にのぞんだともいえるだろう。

もともと4番打者が不在だったために前年は中日ドラゴンズを戦力外となったルナを獲得した。
つまりこの補強は急場しのぎだったわけで、ケガがなくてもシーズンを通してルナがここに座っているはずもなかった。
その席を新井がシーズン中に実力で奪取して、この開幕オーダーにつながった。

しかしその新井にしても、シーズン終盤はエルドレッドや松山と併用されての4番だった。
首脳陣が長いペナントレースを考慮して、ベテランを休ませながら使った手綱さばきは買えるが、逆に言えばベイスターズの筒香のような盤石な4番がいなかったことの証左でもあった。

その打線の中軸の中軸を任せられる選手がペナントレースがはじまるまでに用意できなかったわけで、強力打線の唯一ともいえる泣き所は解消されなかった。

手なりで組んだオーダーではあるが根本的な問題は残ったわけで、また序盤はやりくりしながら手探りで打線を組んでいかなければならないという事情は去年と変わることがなさそうだ。

そうしてみると、あえて補強に動かなかったフロントの怠慢はどうだったのだろうか、という不満も頭をもたげる。

阪神が積極的に補強した新顔の糸井がクリンナップを占めて、3安打3打点でチームの勝利を手繰り寄せたのを目の当たりにすれば、その思いはなおさら募った。

去年の終盤は4番の新井がベンチに入る試合は、スペアとして松山、あるいはエルドレッドが代役をつとめるというスタイルだった。

しかし今年は、様相が違ってきそうだ。
新井が4番を抜けた場合、5番バッターが繰り上がってくるのではないだろうか。

そしてそれは松山ではなく、最終的には鈴木になりそうだ。

彼はまだ4番には早いという意見もあるだろう。
また、それが正論にも思える。
しかし、消去法で見ていけば、そうならざるを得ないのではないだろうか。

きのうの3安打猛打賞のアッパレぶりに、その予兆を感じてもなんの不思議もないだろう。
もちろん鈴木が昨年の好調を維持し、このまま順調に成長してという但し書き付きではあるが…。

「今年は新井さんから4番の座を奪う」と、松山が豪語しているらしいので、その気概には期待したいが、それはたぶん現実のことにはならないだろう。
また、そうなってはカープの戦いは苦しい。

「松山やエルドレッドがリザーブにいるカープ」

これが収まりがいいように思うし、敵からすれば嫌だろう。

その意味ではオープン戦でチャンスをもらいながら、それをものにできなかった堂林には相変わらず物足りなさが残ったし歯がゆい思いがした。

と同時に、首脳陣がもし彼に期待するのであれば開幕からレフトで堂林を使ってほしかった、というのが1ファンとしての偽らざる気持ちだ。

「今年は堂林で行く!」

そんな強力なメッセージをファンとしては開幕のゲームで聞きたかったし、それがチームのさらなる飛躍への雄叫びになったであろうから。

ただ、なんとなくペナントレースに入ってしまった。


そんなムードが微妙にナインに伝わったのか、カープの内野陣はボロボロとつまらないミスを重ねて惨敗してしまった。

カープの外国人投手として初めて2年連続で開幕投手を務めたジョンソン。
もちろん彼を中心にした投手陣で今季を戦うということだが、その初っ端から彼がキレてしまうようなゲームにしてしまったところに、前途の多難を見た。






2017年2月13日月曜日

次回のカープ学講座のゲストは岡上和典さんです。


第4回カープ学講座のごあんないです。

講義内容 「おしい!」野球人生から見たカープ

ゲスト 岡上和典さん
    元広島東洋カープ内野手
聞き手 堀 治喜
    野球文化大学広島校校長代理

2000年ドラフト7位でカープに入団し、たぐいまれな守備センスでレギュラーの座をうかがいながら故障によって引退。今は少年野球チームの監督として後進の指導に当たられている岡上さんに、功成り名を遂げた名選手の成功談とはひと味ちがう「おしい!」野球人生からカープ野球の魅力を語っていただきます。

日時 2月22日(水)19:00〜21:00(開場18:30)
教室 ギャラリーSORA
    広島市中区小町5-32   
    TEL 082-249-1246
受講料1500円(コーヒー付)
  お車でお越しの方は会場の目の前に駐車していただき
  駐車券をご提示ください。500円割引いたします

主催/野球文化大学広島校
協賛/アカデミイ書店紙屋町店

お問い合わせは下記に
mail:inoriwo@yahoo.co.jp

2017年1月22日日曜日

カープ学講座を公開

suitonchannelで配信している野球文化大学広島校の「カープ学講座」。

元広島東洋カープ投手の高橋里志さんを講師にお迎えしての第3回目の講座の模様がYouTubeにアップされました。

ここにまとめて公開いたします。

第1回


第2回


3回


4回


5回


6回


2017年1月20日金曜日

ご返礼のペナルティーキック!

FaceBookにはいろいろな機能があって、そのなかに「この日の思い出を見る」というのがありますよね

だれも頼みもしないのに、ありがたくも何年か前の投稿のトピックが表示されるというもので、はじめはお節介な機能だとバカにしていたのですが、何度も表示されるうちに「まんざら悪くないな」と思うようになりました。

きょうもきょうとて、朝一番でFaceBookを開くと、4年前の今日のある投稿が掲示されました。
表示されたのは自分が描いた拙いイラスト。

「おっ、懐かしい」とは思ったものの、中の記事については何を書いたのかを失念していました。

それで「もっと見る」をクリックして記事を確認してみました。

それが下記の記事です。




「マツダ商店(広島東洋カープ)はなぜ発言しないのか?
ここ数年、旧広島市民球場問題を注視してきたが、不可解なのはカープ球団からの発言がないことだ。市民球場の大家が広島市だったとすれば、カープ球団はいわば店子。だったら発言する権利はあるはずだ。たとえば「市民球場は市民のかけがえのない財産。できれば改修してスポーツ施設としてサンフレッチェに受け継いでほしい」
こう公式に発言していれば、市民球場問題はこれほど迷走することはなかっただろう。
それができなかった理由でもあるのだろうか。
たしかにあの場所にサンフレッチェが本拠地を構えれば、ファンのいくらかはサンフレになびくだろう。
いままで遠すぎて足が向かなかったのが、あそこなら気軽に観戦できる。そういう自分も、いまだサンフレを観戦したことはないが、たぶん行くだろう。
たしかに22年も優勝をしないような緊張感のない球団と、とうとう初優勝をかちとった旬のサンフレでは、カープは分が悪い。
しかしそこは同じ広島でスポーツ文化を継承している仲間ではないか、サンフレのためにひと肌ぬぐくらいの度量があってしかるべきだろう。
そして堂々と企業努力で勝負すればいい。それが相乗効果となってファンを吸引するパワーはさらに増すことだろう。
もしパイを分け合うのがいやで、「跡地にサッカースタジアムを」という民意に水を差しているようなら、それは言語道断のことだ。
聞くところによると球団のトップは跡地にサッカー場をという案を否定しているらしい。それならそれで意見を表明されたらどうだろうか。なんといっても、営業権を持っていた元店子なのだから。
                                  以上

                    ❇
4年前と「サッカースタジアムが市民球場跡地にできない構造」は同じでも、状況はかなりちがってきているのはご存知のとおり。
カープの経済的な基盤は、もう当時とは格段の違いになっているはず。
新球場景気と地道な企業努力とが実って、いまは堂々たる金満球団になっているのですから。

にもかかわらず、ここ最近になってもサッカースタジアム問題に関する見解が公にされないどころか、球団トップは昨年ある週刊誌の取材に「わしは宇品がいいと思っとる」と、とてもスタジアムなんか建設できそうもない候補地を推薦するようなピンぼけの発言さえする始末。

それどころか、当時よりも輪郭がはっきりとしてきたキナ臭い情報や、苦笑するような行政やそのトップたちの施策や言動がネットでも散見されるようになっていて、たとえばそのひとつがこのニュースです。


広島市民球場跡地とサッカースタジアム問題の推移を少しでもご存知の方はすぐにピンと来たことでしょう。

「ああ、また始めたよ(苦笑」と。

何としても市民球場跡地にサッカースタジアムはつくらせない。
この怨念にも似た執念に凝り固まっての子供じみた茶番劇の、新しい場面がまたぞろ幕開けしたことを。

「ふー、やれやれ」

それが実感じゃないでしょうか。

                    ❈


実はこのニュースはすでに一部では報道されていたものでした。

下がその記事。
中国新聞に1月3日に掲載されていたものです。




あらためて気になって読み返してみると、なんとこの情報をいつどのように入手したのかが書いてないのですね。(ズブズブの広島市との関係をいまさら、ということなのかもしれませんが)新聞記事の基本中の基本が記事中に欠けていたのです。

それで新聞社に問い合わせてみました。
窓口は最初、担当記者に確認するといいながら、すぐにかけ直してきたのは上司らしき人物。まあよくあることですね、何か不都合がある時は。
記者がうかつなことしゃべっては困りますもんね。

それはさておき「いつどこで誰から」ということに関しては案の定、明言はされませんでした。

記事の末尾に広島市の都市計画課のコメントがあるから、「…そこからの情報ということで…」でした。

いつ?、については「記事が3日ですから、その前ということですよね」とこちらから確認すると、「まあそういうことで」と電話の向こうで苦笑い。

短い応対でしたが、残念ながら「食わせ物の記事」であるという印象を強く持ちました。

ちなみに3日より前ということは、年末の忙しい時期とお休みの正月を挟んでのことですから、記者というか新聞社は去年の師走の早い時期、すくなくても中旬頃までには情報を入手していたことになります。

たとえば「何日、関係者によると」が12月の15日で、記事が翌年の3日では、いかにもな記事になってしまいますもんね。明かせないのは当然です。

それではなぜ年を越えて年頭の最初の日に掲載したのか?
あるいは、なぜ18日の市長の定例会見に合わせることなく、ずっと前の3日に掲載したのか?

そのへんを考察すると、何となくこの記事の意図が見えてくるのではないでしょうか。
きっと、この「3日」が意味を持っていたのでしょう。

私の見解ですか?

多分、正月版のあとすぐの年頭の記事に託して新聞社の編集方針をぶち上げたということなんじゃないでしょうか。

今年も広島市と黄金バッテリーを組んで、絶対に市民球場跡地にサッカースタジアムはつくらせませんよ!」という念頭の“選手宣誓”。
それを寛容な市民はじめ関係各位に伝えたのではないでしょうか。

勘ぐりすぎですかね。(笑

                    ✽

でも、これまでも理解を得られなかったこの条例が可決されることはないのでは?
とお思いのあなた、ご心配はいりません。

たとえそれが実現しなくても、この話題を審議の過程とともに垂れ流すことで「ああ、あそこは高さ制限があるらしいから」と、市民はうかつにも刷り込まれてしまうんですね。

いつもの「既成事実づくり」というやつです。

広島市民球場を解体にもっていくさいも、さんざん使われたテですよね。

「ああ、もう解体は決まったんでしょ」あれです。

もう敵投手のクセはすっかりお見通しです。(笑

またまた性懲りもなく市民球場跡地を選択肢からはずそうというもくろみ。
こんな子供だましをいつまでつづける気なんでしょうか、あの方たちは。(笑

さすがにこの景観条例には呆れるを通り越して、ふつふつと暗い笑いのようなものがこみ上げてきました。
そして、私もピッチの隅でいっしょに遊ばせてもらいたくなってまいりました。

そこで、これまでずっと温めていた出版企画

「広島にはなぜサッカースタジアムができないのか?」

これをいよいよ形にしたく。(諸々の出版事情、小生の力量不足もあり、実現は保証の限りではありませんが)

ぼちぼち資料や記事をまとめ、取材を進めて、できれば年内に刊行できればと思います。

良識ある市民である皆様にもごいっしょに遊んでいただきたく、まずは情報などお持ちでしたら、下記の私のメールかツイッター、FaceBookのダイレクトメールにお送りいただきたく、お願いいたします。

  Maile:inoriwo@yahoo.co.jp まで。




と、ここまで書いたところで、こんな本がAmazonから届きました。
グッドタイミング。




「お役所の掟」です。

著者は厚生省のお役人だったようで、つまり松井広島市長の先輩に当たられるようで、これは面白い参考資料になるかもしれません。




2017年1月5日木曜日

お別れの年賀状

敬愛していたYさんが亡くなられた。

3日に年賀状が届いたばかり。
その方が今はもうこの世にあらず、鬼籍に入られてしまったことが未だに信じられない。


年末に手作りの塩をお届けに寄った際、この月末に少し大変そうな手術をされると聞かされてはいました。
しかし対面しての会話には力があったし、とりわけ僕を叱咤する時のもの言いには鬼気すら感じるようだったのに。 

残念ながら生命力にかげりが見えていたことは否定できなかったものの、まさかこんなに早くその日がやってくるとは思いもよりませんでした。 

ただ、毎年必ず元旦に届いていた年賀状が遅れたことに、いささかの不吉を感じたことも事実でした。
 また、添え書きの文面も気になってはいました。 

「…おかげで楽しい一年でした。感謝」 

旧年の感謝をいうなら「本年もよろしく」の常套句がつづいてしかるべきでしょう。
それがないまま唐突に「感謝」で結んであって、年賀というよりお別れの挨拶のようでもあったのです。 

いまになって読み直せば「一年」に「人生」を託したようでもあり、自分に今年がないことをYさんは覚悟していたのかも知れません。 

「カープ猛者列伝」を上梓したことがきっかけで1999年に、当時カープ大野寮の寮長だったYさんと知り合うことになりました。 
パーティとかイベントなどで顔を合わせる程度のおつきあいでしたが、そんな席でしきりに“黒田博樹”を語るYさんを知り、先年「黒田博樹 男気の証明」を書くにあたってあらためて取材をお願いしました。 

それからは親しくおつきあいさせていただき、Yさんの人柄に触れるにしたがって敬愛の念を抱くようになったのです。 

取材した際には不覚にも、黒田博樹氏との関係性にしか着眼できませんでしたが、聞けば聞くほどふたりの関係に浅からぬ縁というものを感じざるを得ませんでした。 

「堀さんの本のおかげでテレビ出演、ひっきりなし」 と、人懐こい顔で自嘲気味に破顔されていたYさん。 
カープへの復帰。日米通算200勝。リーグ優勝。そして引退と、ずっとつづいた“黒田騒動”の後始末をされるようにYさんも頻繁にテレビに露出し新聞紙上を賑わしていられた。

そして黒田博樹氏が野球人生に終止符を打つのを見届けたかのように、Yさんは人生の幕を閉じられた。 
いかにも面倒見の良かった彼らしいエンディングということなのでしょうか。 

カープの初代エース長谷川良平氏の晩年の闘病生活を、ずっと寄り添うように支えておられたYさん。 
その役割を継投して彼にどのように寄り添えるのか、それを考えはじめた矢先のノックアウト。
悔しすぎて涙も出ません。 

今年の早々にと約束したふたりのトークショーは、これでお預けになってしまいました。 それこそお約束の、「あの世で」ということですね。 

思えば、先日の会食のときの会話をノリで撮影させてもらったのは、僕にも別れの予感があったからなのでしょうか。 

これからは追善の供養のつもりで、何度も観ることになりそうです。


カープ大野寮の若手への接し方でもわかります。
いつもいつも他人のために、周りに良かれと精一杯生きてこられたYさん、無理に無理を重ねてこられたのでしょう。

年賀状にもありましたね、
「❉己を後にして相手を思いやる心」と。

本当にお疲れさまでした。
永い眠りを、ゆっくりお休みください。