2016年10月24日月曜日

小窪キャプテンの涙に映ったチーム模様

「打撃コーチがぜひとも使ってほしいというので、使いました」

前の試合で好調だった安部選手に代えて三塁に起用した小窪選手が先制タイムリーを放ったことについて、その意図を聞かれた緒方孝市監督はこう答えた。

それをダッグアウトで聞いていた当の小窪選手が、そのコメントを聞いたと同時に涙顔になって顔を伏せてしまったのをテレビカメラがとらえていた。 
その両脇には、丸選手とだれだったか、小窪選手をはさんで彼の手を高々と上げて殊勲打を讃えていた。

 「ええチームやなぁ」

なぜ関西弁だったのかはわからないが、その光景を目にしたとき、つい口を突いて出ていた。

それは監督と選手たちの間の信頼関係、強い絆の有り様が端的にあらわれたシーンだった。

カメラがこのシーンをとらえたのは偶然ではなかったはずだ。
緒方監督の答えも、小窪キャプテンのリアクションも、中継クルーは確信を持って予想していたのだろう。 

常日頃からカープを取材している彼らは、チームの人間関係もよく知っている。
だからこんな決定的なシーンを逃すことなくとらえられたのだ。

 
小窪キャプテンが二軍で懸命に調整していたときの様子


思えばリーグ優勝を決めたグラウンドでも似たようなシーンを見ていた。

選手たちが抱き合い、喜びあっていた輪のなかで号泣する黒田投手を見つけた緒方監督が、照れながら泣きじゃくる弟をからかうかのように彼を指差して囃し立て、それに呼応して選手たちが黒田投手を囲んで胴上げをはじめたシーンだ。 

あの光景を目撃した瞬間、緒方監督と選手たちとの、うらやましいような関係性が垣間見えたように思った。そして、カープの得体の知れない仲良しこよしぶり、底知れぬ一体感の理由が了解できたように思った。

                     ❋

チーム力だけで優勝を勝ち取ることではない。
そこには運が必要だし、それを呼び込む絶妙のタイミングというものが介在する。

首脳陣の交替、選手の入れ替えと成長ぶり。
そんなもろもろがうまく融合したとき、ペナントレースの頂点に立てる。 

緒方カープの優勝の土台には、優勝できなかった25年の積み重ねがあった。
そして前任の野村謙二郎監督が成し遂げた選手の育成と、優勝への助走としてのAクラス入りがあった。

とはいえ、もしあのまま野村監督が続投していて、今年の優勝はなかっただろう。
いまのこのチームの雰囲気、その一体感から生まれる底知れないチーム力は、やはり緒方監督の手腕によるものだ。 

1975年の初優勝のときをふりかえってみて、それがよくわかった。
キャスティンクグのめぐりあわせとタイミングの綾が運を呼びこみ、運が優勝へとチームを導いてくれる。

もしあのシーズン、ルーツ監督が15試合目以降も指揮をとりつづけていたらカープ初優勝はなかっただろう。
ルーツの強権のもとでチームはバラバラになって、 優勝どころかペナントレースをまともに戦うこともままならなかった。
それは当時、チームの内部にいたメンバーが実感していたことだ。

ルーツはチームの意識改革には成功したが、ことばの問題もあってチームをひとつにまとめることはできなかった。

ところがルーツが去って、若い古葉竹識監督が後任となったことでチームはまとまった。
「負け犬根性」が払拭され地力もついていた選手たちが一丸となって、優勝をねらえるような『赤ヘル軍団』となった。

あのとき監督交替のタイミングがすこしでも遅れていれば、10月15日の優勝ゴールには間に合わなかっただろう。 

それと同じようなことが、今回の優勝にもいえるのではないか。

いまにして思えば、緒方孝市監督へのバトンタッチのタイミングが絶妙だったからこそ、優勝という大輪の花を咲かせることができたのだろう。
育った才能が、適任の指揮官を得て開花したということだ。

野村監督がいま主力となっている若手を育てたことに異存はないだろう。
チームリーダーとしてカープを牽引していた現役時代と同様に、野村監督は率先垂範してチームを育ててきた。その功績は大だ。 

ただ彼がずっと監督をつづけていたとして、カープのいまの戦い方ができたとは思えない。
鬼軍曹が指揮をとるチームの選手たちには、どこか萎縮していたところがあった。

とくに投手陣にはそれが顕著にみてとれた。  緊張感ばかりに支配されたようなベンチで四球を恐れるあまりに四球をだしては手痛い一発をくらう。
そんな光景ばかりが目についた。 
結果として打たれるのだから、彼らからはいつまでも自信を見てとることができなかった。 

ところが緒方監督になって、いや、緒方監督が1年目の失敗から何かを学習したことによってチームは変わった。

手綱を締めるのではなく、緩めることで選手たちが生き生きとその力を発揮しはじめたように見える。 

グラウンドに出す選手たちは、思うがままにプレイさせる。
監督はゲームを締めればいいのだ。 

普段は気のいい兄貴であり、勝負のグラウンドでは信頼できる兄貴。
緒方監督は、きっとそんな存在なのだろう。 

あれは2014年のシーズンオフだった。
「津田恒美の野球殿堂入りをお祝いする会」が広島市内であって、その会場のロビーでカープOBの何人かと雑談していたときのことだ。 

ロビーの一角がひときわ明るく光ったように思った。
そちらに目をやると、白いスーツに身を包んだ緒方孝市氏がさっそうと現れた。

あれをオーラというのだろう、歴戦の勇士たちが集まった会場でも他を圧するほどの存在感があった。 

野村監督が退任し、後任がだれになるかが取りざたされていたころのことだったが、あのとき「つぎは緒方監督だな」と確信した。
先輩諸氏の間をさっそうと歩む彼が、「つぎは私になりました」と無言で語っているように見えたからだ。 

ただそのとき、彼が監督になるという現実は受け止めたものの、はたして彼が監督として適任なのだろうかということに関していえば、正直懐疑的だった。

それは1年目に現実のものとなった。 

しかし緒方監督はひと知れず自省し自戒し、また研究もしていたのだろう。
2年目にして、とてつもなく素晴らしいチームをつくりあげた。 
あのとき感じたオーラの大きさ明るさは、たしかなものだったのだ。

かつてカープを優勝に導いた監督は古葉竹識、阿南準郎、山本浩二の3人だ。
すこしかいかぶりすぎかもしれないが、緒方監督はこの3人の良き特徴を合わせ持った監督像のように映る。 

あくまでも勝負にこだわる厳しさと、選手を思いやる優しさは古葉監督のものでもあった。 

用兵と采配とに現場の責任者であるコーチの意見を聞き入れる柔軟さと、その結果責任は負うよという指揮官の覚悟は阿南監督のスタイルに似ている。

そして、よき兄貴としてチームを引っ張る姿は、第1期の山本監督に重なる。

かつての成功者3人の特性を備えたように見える緒方監督は、もしかしたら球史に燦然と輝くカープ黄金時代を築くことになるかもしれない。

そんな期待を、いま抱きはじめている。

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