ご存知の方もおおいことでしょう。
豪腕投手の宿命といわれる、ルーズショルダーというものがあります。
豪腕の反面の脆弱さ、といってしまえばそれまでですが、ようは剛球、快速球を投げられる投手のほとんどが肩の可動域が異常に広いために関節周辺の筋肉や腱に負荷がかかりやすく、それらが関節を支えられず不安定になってしまう症状のこと。
直訳すれば「ゆるくなっちまった肩」ですが、もったいぶった医学用語では「非外傷性肩関節不安定症」といいます。
いまでは予防法がしっかりしてきたのか、球数意識が徹底してきたためか、肩を失う投手はまれになりました。
記憶にあたらしいところでは、数年前にジャイアンツの澤村拓一投手がやっちまったみたいで、一時戦線を離脱していたようですが。
よく知られたとろでは、元ソフトバンクホークスの斉藤和巳投手とかヤクルトスワローズの伊藤智仁投手といった超ド級の豪腕投手がこれで投手生命を断たれてしまったケースでしょうか。
彼らのマウンドからの撤退を断腸の思いとともに懐かしんでいるファンはすくなくないでしょう。
投手生命が奪われる前に、若くして病によって実生命が断たれてしまった元カープの津田恒美投手も、このルーズショルダーには悩まされていました。
あの剛球を生んだ並外れたバネの強さは、彼の右肩にも時限爆弾として潜んでいたのです。
南陽工業高校のエースとして甲子園で活躍したのち、彼は社会人の協和発酵(現協和発酵キリン)に入社していますが、そのころにはすでにルーズショルダーの徴候はあったようです。
カープに入団してからもこれが原因でたびたび戦列離脱してますから、彼はこの症状と共存しながら、また、なだめすかしながらマウンドにあがっていたといっても過言ではないでしょう。
津田恒美に関しては、実録ものの「甦る炎のストッパー 津田恒美」と、転生物語りの主人公として「天国から来たストッパー!」の2冊本を書いているので、ルーズショルダーに関わる記述も随所でしています。
「天国から来たストッパー!」の方は、このルーズショルダーが転生の証となる鍵にもなっているので、表現は微に入り細に入らざるをえませんでした。
なので「痛み」とか「違和感」とかいう表現をしきりに使うことになったわけですが、実際にはその痛みというものを経験したことは当然ながらありません。
つまり実感もないまま「痛み」とか「痛い」とか書く。また書かざるをえない。
「からだが悲鳴をあげた」
なんていう表現だって、“息を吐くように嘘をいう総理”のように、つい安易に書いてしまったりするケースもあったわけですね。(笑
その人物の心理に深く入り込み、状況にしっかりと寄り添って、と思ってはいても現実にはそれには限界がある。(ある意味では、完全に当事者の心理とか肉体の感覚に同期できないがゆえのズレとかブレのなかにこそ、客観的にとらえられる軸があるとも理解してますが)
まあどちらにしても、現実から見れば安易に表現してしまっているという誹りは免れず、忸怩たる思いは拭えないわけです。
ルーズショルダーが剛球投手の宿命であるように、このことは物書きの宿命、宿痾ともいえるものでしょう。
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旧ブログやフェイスブックなどでも、ときどきぼやいてきたのでご存知の方もいるかと思います。
じつは去年の秋から肩痛に悩まされています。
もう丸一年あまりということになります。
ピッチャーでいえば、フルシーズン出場機会なし。
それどころかマウンドにも立てなかった、そんな時間感覚といってもいいでしょうか。
はじめは左肩だったのですが、何の因果かいまでは右肩もまったく同じ症状になってきて、「肩痛は伝染するのか?」なんて独りボケをかまして微苦笑したこともありました。
左肩をやったときは、原因がはっきりしていて、毎朝の散歩ではじめた滑り台のスロープ下からの蹴上がりトレーニングで手をすべらせて、そのときのダメージで痛めたものでした。
「年寄りの冷や水」ならぬ、「マヌケの蹴上がり」。
そういわれて、まったく抗弁できない笑えないアクシデントだったわけですが、右肩の方はなんの自覚症状もないまま、左肩に「右へならえ!」の発症です。
とすれば左肩の方も、すべったためのダメージというより、もともと「肩が悲鳴をあげる」寸前だったところに因果がかさなってしまったがゆえの結果で、「マヌケの蹴上がり」だけが原因ではなかったかもしれない。
とすると、はたして本当の原因はなんだったのか。
そして思い当たったのが、『津田恒美の呪い』です。
前述したように、彼に関する著作のなかで、安易に「肩の痛み」とか「痛む肩」とか、その実感もないまま書き散らしている。
そのことに対して、津田があの世からあえてメッセージを送ってきてくれたのではないのか…。
「痛い痛いって書くばっかじゃだめなんよ〜。しっかりお勉強してくださいね」と、あの世から例の人懐っこい笑顔を浮かべながら。
そう思ってみると妙に腑に落ちるというか、納得するのですね。
もちろん彼が感じた痛みとは比較にはならないけれど、たぶんそれに似た「痛み」は経験できている。
そしてそのことが、不思議にありがたいのです。
贖罪といえば大げさですが、痛い肩で肩の荷を降ろせたような気もするのです。
きっと「甦る〜」が左肩分で、「天国から〜」が右肩分なのでしょう。(笑
この痛みを先に知っていれば、あの本のなかの記述ももっと深みがあるものとなったかもしれません。
が、それはいってもせんないこと。
これから先、彼に関するまとまった本を書くことはもうないでしょう。
だから、いまさらといえばいまさらなのですが、「痛み」の表現と「痛い」という実感の対象物を介しての自覚というのか、そんな感覚が学べているように思えないこともありません。
これはぼくに限らず、関係者が異口同音にいっていることですが、津田はいつも、いつまでもあの世からこちらになにかを働きかけてくれている、そのことをいまあらためて実感してもいます。
だからこちらからも、返してやりました。
もちろん“呪い”ではなく、感謝を。
津田よ、こんどもありがとう!
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