2017年6月3日土曜日

「背信の九里」と書けない事情が?

6月2日の試合
千葉 400000000001-5
広島 000040000000-0

勝 松永1勝 S益田3敗7セーブ 負 ブレイシア2勝1敗1セーブ

本塁打 エルドレッド14号 田中3号

先発の九里が初回に4失点の乱調で、いきなりゲームにミソをつけてしまった。

カープは5回にエルドレッドのソロと田中の3ランホームランで同点に追いついたものの、延長12回に勝ち越されて惜敗。

ゲーム開始早々に大量失点のビハインドを頂戴。なんとか食らいついていったものの後手を踏んだツケは大きく、最後には引導を渡されての敗戦となった。

そんなゲーム展開の煮え切らなさよりも、翌日の地元某新聞の報道ぶりになんともいえない後味の悪さを感じた。

紙面をぱっと見して、試合の結果がオブラートに包まれていて、すっきりしないなのだ。

「敗戦が見事に希釈されている」とでもいうのだろうか…。

その記事の見出しはといえば、

 「コイ12回力尽く」

 「ブレイシア決勝打許す」

そこからは「先発九里の期待はずれの投球によってカープが負けた」という事実が巧妙に隠されているように見える。


本文を読んでも、まるで九里投手はアンタッチャブルで、ブレイシアひとりに責任を転嫁して記事を流している印象なのだ。

「ブレイシア決勝打許す」は別にしても、一般的な報道センスからすれば、見出しはつぎのようになってしかるべきだろう。

 「九里ゲーム壊した初回4失点」

 「打線奮起もおよばず」

それを意図的に改編した。そうとしか思えない軟弱ぶりだ。

そこからは何かに、誰かに“忖度”しているとしか思えない不自然さが伝わってくる。

本文に併記されたコラムにいたっては九里の“背信”、カープの負けには一切ふれずに「ナインの力 引き出す拍手」と、ファンの応援ぶりをヨイショしての、いわゆる提灯記事。

筆者もその“配慮”に後ろめたさを感じているのか、それとも行間に苦衷を察してほしいとの思いがあったのか、つぎのような興味深い表現があった。

「いきなり4失点した九里の乱調に責任を押し付け、さっさと敗戦の手続きを進める手だってある。真っ赤に染まるスタンドがそれを許さない」

この文章が私にはつぎのように読めた。

「いきなり4失点した九里の乱調の責任論から敗戦の記事を書き進める手だってある。(しかし)スタンドを真っ赤に染めさせている球団がそれを許さない」

カープ球団がフロント、監督批判を新聞や雑誌に書かせないのは広く知られていることだ。
それを知らずにか書いてしまった某スポーツ新聞社の某記者が球団オーナーに呼びつけられて恫喝されたらしいというのは有名な話。

またある人物は核心に迫る取材ぶりや「是々非々で書くスタンス」が疎まれてか、出入り禁止になった。

かくいう私も、「是々非々で書いた本」が球団トップの逆鱗に触れたようで、どうやらなにがしかのペナルティーを課せられているらしい。

もちろんそんなリアクションははじめから想定内で、とくに驚いたわけでも憤っているわけでもないのだが。(笑

チームが絶好調で人気もうなぎのぼり鯉のぼりの今、球団の以前からの“唯我独尊”ぶりはさらに拍車がかかっていることだろう。

ひっきょうメディアの忖度、自主規制はますますひどくなって、いま「カープ村」の言論空間はどんどん閉鎖的で息苦しいものになってきているのかもしれない。

それにしても、たかが記者やライターを恫喝したりてみたり、出入りのグッズ業者に消費税を転嫁するなと強要してみたり、グラウンドで戦っているあのさわやかなチームとは対照的に、陰湿で弱いモノいじめの好きな球団だこと。




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