2016年12月2日金曜日

講座のご案内です。

久々に講座をすることになったので、そのアナウンスを。

今回の「カープ学講座」
講師は元カープの最多勝投手の高橋里志さんです。

カープをめぐる言語空間は閉塞状況にあるといってもいいと思いますが、そんな環境からは距離を置いて、辛口発言も厭わない高橋さん。

そんな彼から見ると今回のカープの優勝はどのように映るのか?
興味は尽きません。



2016年12月1日木曜日

『レストランテ・ボールパーク』

「野球場づくりの愉しみ」
今回で第4回でしたかね。

そのうちカウントを忘れてしまいそうですが…(笑

これから汗臭い話がつづくことになるはずですが
その前に腹ごしらえということで
『作業日記グルメ編』をお届けします。

グラウンドとそのまわりに広がる自然のなか、野外での愉しい食事のひとコマです。


バックネット裏の土地を畑にして
野菜をつくっていました
こまめにかまってやっている暇はなかったので
無農薬のほぼ自然栽培です(笑


なのでここで獲れた野菜が
いろいろな料理になって
テーブルに載ってました


といっても野外のお気に入りの場所が
そのときのテーブルになるのですが…


なんといってもこのロケーションが
最高の香辛料なのです



コンロがわりは七輪です
煮炊きに炙りにと
なんにでも使えて便利
なにより出来上がりの味がいい


飯なんかも炊けますしね


炭火で炊いた飯のおコゲなんて
絶品ですよね


調理にはこぶりの中華鍋を使ってましたね
これが七輪にぴったりだし
なんでもできちゃう


これ、なにつくってるかわかります?


リゾットですよ、リゾット
山の中の野球場でイタリアンです

『レストランテ・ボールパーク』
ミシュランのお星さんに用はない!、って感じ(笑


もちろん和風も

ぶっかけうどんなんかは
手間もいらない簡便メニュー

グラウンドのグリーンを眺めながら
ちゅるちゅるすすれば
あとはな〜んにもいりませんて


いやいや、ビールはべつでしたね

ドリームフィールドが
ちょっと世間の話題になったとき
アサヒビールがいろいろ協賛してくれて
またサントリーも缶ビールを1年分
提供してくれたこともあって
しばらくはビールにはこと欠きませんでした(笑

その節はお世話になりました
あらためて感謝申し上げます


いつでもひと汗かける環境と
汲めどもつきせぬビール

いい時間でした



2016年11月30日水曜日

夢のような物語りが現実になるとき

毎年7月20日の津田恒美の命日にはドリームフィールドで「津田恒美メモリアルゲーム」をしていたのは、前回の投稿で紹介しました。

そして20世紀最後の締めくくり、2000年にはカープOBチームが来場してメモリアルゲームをすることができました。

「お前がつくれば、彼はやって来る」

映画「フィールド・オブ・ドリームス」で、農夫が野球場を作るモチベーションとなったこのフレーズが、ぼくたちの野球場づくりの動機でもあったわけですが、その「彼ら」がやって来たのです。



これは「シューレス・ジョーの橋」。
映画「フィールド・オブ・ドリームス」で
あの世からあらわれたメジャーリーグの名選手に
敬意を表してのネーミングです。

センターの奥から山稜の向こうのへと
結ぶように架けたもの。
この橋を渡って「彼らはやって来る」ということで。

つまりはドリームフィールドと夢の世界とをつなぐ架け橋という見立ててです。
カープOBの面々も
もちろんここを渡ってやって来ました。


当時OB会長でチームの監督でもあった
長谷川良平さんのあいさつ。
「あんたら面白いことしとるよの」
たしかそんなお褒めのことば?(笑
をいただいたと記憶してます。

ということでゲーム開始です。
この日は安仁屋宗八さんもマウンドに。
津田恒美を偲ぶゲームにはもっともふさわしい。
安仁屋さんと津田との
こころ温まる師弟関係は
ここで紹介するまでもないでしょう。

写真は小川達明さん。
崇徳高校時代に山﨑隆造さんとともに
春の選抜大会を制覇したときのクリンナップでしたね。
カープでも一時主軸を打っていた彼が投げ
バックでかつてのエース高橋里志さんが守る。
OBチームならでは光景です。

ゲームが終わっての懇親会。
グラウンドの一角につくったバーベキューコーナーです。
そうか、「野球場でバーベキュー」も
カープより早かったんですね。(笑

こちら求めに応じてサインをする高橋里志さんです。
カープ黄金時代の停滞期に
奮闘しての20勝は見事でした。


この日のためにハウスに併設したシャワールーム。
これも手づくりで用意したのですが
OBたちには、お気に召さなかったらしく
だれも使ってくれませんでした。(笑


なにはともあれ、ぼくたちがつくった野球場
ドリームフィールドにカープのOBたちがやって来てくれた。

「お前がつくれば、彼はやってくる」

映画「フィールド・オブ・ドリームス」のなかで
再三語られていたこのフレーズを実感した日でもありました。

農夫の耳に天から聞こえてきたこのフレーズは
もちろん野球場をつくってしまうという
物語りに託しての映画の主題でありメッセージ。

「あなたがコトを起こせば、ひとは集まって来る」
そして
その想いは、きっと成就する。

そのことを語っていたのです。

















2016年11月29日火曜日

顕彰は“冗談”とともにやってくる

「冗談だと思った」

新井貴浩選手がセ・リーグのMVPを受賞しての気持ちを語っていましたが、あれはいつわらざる心境だったことでしょう。

驚天動地、晴天の霹靂とまではいわないまでも、鳩が豆鉄砲くらったほどには、みなさんも驚かれたようですが、なおさら本人は期待も予想もしていなかったことでしょうから。

このテのことがあると、いつも微笑とともに思い出してしまうのが、カープの初代エースだった長谷川良平氏が2001年に野球殿堂入したときのこと。

もはや殿堂入りはないと諦めて久しかった長谷川さんは吉報の報せを、「いたずら電話かと思った」と語っていました。

その表現が面白く、今回のようなことが起きると引っ張り出しては味わってみるのが癖になっているのです。

あのときの長谷川さんのことばと、今回の新井選手の表現が似ているのは、まさかカープの伝統というわけでもないのでしょうが、なんとなく得心したような気持ちになってしまいました。

パ・リーグの大谷翔平選手の受賞については、異論をはさむ向きはなかったでしょうが、セ・リーグの新井選手に関しては賛否さまざま意見があるようです。

活躍からいえば菊池涼介選手か鈴木誠也選手だろうとか、投手部門のトップを争ったジョンソンや野村祐輔がいたではないか、と。

あるいは優勝チームから出すという慣例にしばられることはない。
ベイスターズの筒香嘉智選手だ、いやスワローズの山田哲人選手だろう、といった声も聞こえてきます。

ぼくは下馬評高かった菊池選手で決まりだろう、そう思っていました。
ほぼシーズン通して活躍しての最多安打。なによりも、再三チームを救ったあの桁違いの守備力はいくら評価してもしたりないほどです。

なので彼が次点になったこともさることながら、新井選手の781点に対して429点と意外な大差だったのにも驚かされました。

菊池選手にくらべると、新井選手の貢献度はすこし物足りない。

一塁をスペア(といっては失礼か)の松山竜平選手やエルドレッド選手に譲りながらの虫喰い出場。タイトルひとつ獲ったわけでもなく、説得力はいまいちです。

しかし一晩明けてのいま、授賞式の報道に接しての気持ちをいえば、落ち着くところに落ち着いたのかな、という印象です。

NPBアワードでの表彰式の様子をみても、賞の大きさに見劣りするようなところもありませんでしたし、それなりにおさまりがよかった。
それはやはり、彼が今シーズに見せた存在感によるものでしょう。

シーズンの成績やグラウンドでの表面的な活躍でははかれない貢献度。それを現場の記者たちが評価しての投票結果ということだったのでしょう。

ぼくの大好きな「タラレバ」になりますが、もし菊池選手が受賞したとして、そのときは逆に「なんで新井選手ではないのか」という不満はどうしても残ったでしょうし、ほかのどの選手にも大谷選手のような圧倒的な説得力はなかったということです。

他チームの筒香選手や山田選手にしても、やはり「優勝していない」というハンデをくつがえすだけの成績ではなかった。
たとえば三冠王でも獲っていれば、文句なしだったでしょうから。

ボブ・ディランのノーベル文学賞じゃありませんが、首位打者や最多本塁打、最多勝や最優秀防御率などのように数値で決めるものでない以上、こんな不満や戸惑いはいつも残ってしまうものなのでしょう。


長谷川良平氏(写真左)の殿堂入りのお祝い広告を企画したときのもの
「悪い冗談かと思った」の苦笑いだったのかも(笑


2016年11月28日月曜日

グラウンドは刻々と表情を変えている。


前回からはじまった「DREAM FIELD 野球場づくりの愉しみ」(仮題)。

まずはそのドリームフィールドと名付けた野球場(その理由はいずれまた)がどんなものだったのか、ざっと紹介しておきましょう。

写真は2003年のものです。

なんてことはありません、ぼくたちはカープがズムスタを本拠地にした2009年より前から、内外野天然芝の野球場で遊んでいたのですね。

ようやくプロ野球が草野球の感性に追いついて来たということで、まずはめでたしめでしたしといったところでしょうか。(笑

あのころは「ダイヤモンドが天然芝であることの意味」をよく理解していたファンはすくなかったと思います。
実際にプレイしてみればわかりますが、愉しさがまったくちがいます。異次元もの。

「緑の芝のうえを白球が転がってくる!」

あるいは

「おれの打球が緑の絨毯を走って野手の間を抜けていく!」

こんな興奮とともに野球ができる贅沢というんでしょうか。

そんなナイスな野球場を本拠地にしているからカープは優勝できた。
そういっても過言ではありません。

野球を愉しみながら、カープは強くなってきたのでしょう。

それはさておき、なぜここで写真の年をことわっておくかというと、野球場の表情がそのシーズンによってちがってくるからです。

天然芝の野球場は芝の状態で青みがちがって見えます。
生き生きとしていれば見栄えはいいし、芝に元気がなければ冴えない感じにもなる。

また、どのように芝を刈りそろえるかでさまざまな模様があらわれます。
まっすぐにスジ状になっていたり、チェック模様に刈り込んでみたり、同じ球場でありながら、まるで洋服でも着替えるようにダイヤモンドの柄が変わっていたりするのを、あなたも気づいたことがあるでしょう。

無機的な人工芝の球場にしても、時間とともに芝が傷んでいって見苦しくなったりします。
藤井寺球場の最後のころは、芝がすり切れて下のコンクリートが透けて見えそうで、憐れをかこってましたから。

それでも一般の野球場の場合は日常的に「芝生を管理」しているので、極端に景観が変わって見えるようなことはありません。

いっぽう、わがドリームフィールドはといえば、週末だけメンバーが集まって「雑草と格闘」するような作業だったのでシーズンどころか、その日によってまったく見た目がちがっていたりしました。

ゲームがある日はなんとか刈りそろえていたものの、それでもどこまでできたかで印象はちがってきて、大げさでもなんでもなく、日によってまったく別の野球場になってしまってました。

たとえば、こんな感じ。


前の写真の2か月後です。

芝にまじって雑草がいばっていて、とても野球をするグラウンドではありませんね。

それでも刈りそろえると、こうなります。


どうです、すこしはマシになったでしょ。
数十分の時間差です。(笑

ふだん何気なく「おお、きれいじゃん」なんて眺めている野球場も、管理スタッフのみなさんのおかげで見栄えよく、またプレイしやすく手入れされているのですよ。

ドリームフィールドが一般の野球場と決定的にちがっていたのは、段々状に広がっていた畑や田んぼを平に造成してもらって、そこに砂を入れてならし、芝生の種を蒔いて育てながら作り、手入れしていったので、そのプロセスで有り様がかなりちがっていたことです。

芝生がだいたい生えそろったのは、種を蒔いて3年目の1997年あたりだったと記憶しています。

それからしばらくは、刈っても刈ってもすぐに伸びてきて、刈った芝がバックネット下とかスタンドの横とかに、うずたかく積もってしまって処理に困るほどでした。
人間でいえば少年期から青年期になったころの頭髪、そんな感じでした。

                    ❉

ところで、冒頭の写真のグラウンドを自己評価すれば70点といったところでしょうか。(そのうち100点にちかい写真をドヤ顔でお見せいたします)

外野とファウルゾーンはなんとか刈りそろえてますが、ダイヤモンドは縁周部だけ。全体に手がまわっていません。(それは、ある理由があってのことでした)

ドリームフィールドの広さは両翼が約93メートル。中堅が115メートルで、当時広島東洋カープが使用していた旧広島市民球場とほぼ同じ広さでした。

これを素人が集まって手作業で維持管理していたのですから、手がまわりきったと思えたことは記憶にありません。

ここで“大変自慢”をしても仕方がありませんが、それもまた愉しからずや、です。
たとえば下の動画のように、ゴーカートで遊んでいるかのような気分で草刈りをしてみたり…。


この動画で映画「フィールド・オブ・ドリームス」(W.P.キンセラの「シューレス・ジョー」が原作)のあるシーンを思い出されたひともいることでしょう。

 

なかで、ぼくもコメントしてますが、ケビン・コスナー扮する主人公の農夫がトウモロコシ畑をつぶして野球場にするためにトラクターに乗ってトウモロコシを倒していくシーン…。

あれを見た瞬間、「ぼくも野球場を作ろう!」そう決心していたのです。
そういう意味では罪なシーンでした。(笑

ちなみに今回掲載した写真のダイヤモンドのなかほど、マウンドの前に白線で文字が見えると思います。
あるファベットで「TUDA」と書いてあります。

そして写真右下の撮影日は「2003 7 20」となっています。

そうです。
元カープのストッパーだった故津田恒美氏の命日のときの写真だったんですね。

そして、ぼくたちはいまから「津田恒美メモリアルゲーム」をはじめようとしていた。
そのときのスナップです。

なのでダイヤモンドに「TUDA」とあしらうための時間がとられて、芝刈りがおろそかになってしまったのでした。(それにしても「つ」をいつから「TSU」とローマ字表記するようになったんですかね)

この津田恒美メモリアルゲーム。
ドリームフィールドが開場した1995年の翌年、1996年からはじめたはずです。

「野球場ができたら、きっと津田の霊がやって来ていっしょにゲームができるんだ!」

フィールド・オブ・ドリームスでは、農夫の野球場に、かつての名選手シューレス・ジョーがやって来て彼の野球場を喜んでくれた。
ぼくらのドリームフィールドでは、それが津田恒美だったのです。

 あのころは命日の「海の日」が固定の祝日で、かならず休みだったのでちょうどよかったのですね。

「津田恒美を偲んで、記念のゲームをしよう!」

思いついたらすぐに実行できる。
これが自分たちの野球場を持っていることの強み。
なんといっても場所の確保をする心配がいらないのですから。

なんでもそうですが、会場となる場所を探して確保するのは大変なこと。
イベントどころか、ちょっと練習するための球場を手当するのもままならないというチームや野球部もあるようで、皆々様の気持ちお察しいたします。

もしなんなら、自分たちで野球場つくってみてはいかがでしょうか。

                    ❇

ちなみに、この年の津田恒美メモリルゲームは、わがコーンズと写真に映っているアクティブJというチームで2試合していましたね。

結果は1勝1敗の痛み分けでした。














2016年11月27日日曜日

毎日が「宴のあと」だった日々


結構こんなひとは多いんでしょうね。

写真のデータや書きかけの原稿やメモなんかをパソコンに投げ入れたままにしているひと。
そのつど整理しておいたほうがいいですよ、ぼくがいうのもなんですが。

だいたいが整理下手、ものぐさな性格なのでかなりのデータがディスクに乱雑に溜まったままになっていたのですが、パソコンの容量のこともあったりで、ようやく整理をする気になったはいいものの、いま往生こいてます。

そのときどきにしておけばこんなことはならなかったのでしょうが、なにがどこにあるのかわからないまま念のためにコピーして保存したり移動してしまって、重複したデータが乱雑に溜まってしまっていたのです。

それで確認と削除と移動と整理とかなんやかやの時間と手間とで謀殺されるはめになってしまいました。

気が遠くなるというか、死ぬまでにはたしてこのパソコンのなかのデータの整理がつくのかと、心細い思いにすら襲われています。

たしか安部公房氏が亡くなったとき、ワープロのフロッピーディスクのなかに書きかけの原稿がかなり保存されていたとかで話題になりました。

ちょっと調べてみたら、彼の没年は1993年のことだったのですね。
ちょうどぼくが、仲間を集めて「野球場をつくろうぜ!」なんて、人生をすべりはじめたころだったのです。

安部公房氏のディスクにデータが蓄積することがなくなったとき、かわりにぼくのパソコンには手づくのの野球場「ドリームフィールド」での作業と遊びの記録とが溜まりはじめていたということになります。

                     ❇

なんだか「整理の時間」ばかりになってしまっているのがシャクなので、そのつど備忘録もかねてここにいろいろアップしていってみようかと思いたちました。

自分の労苦に報いてやりたい、という柔な発想です。(笑

とりあえずはドリームフィールドでの遊びや作業やスナップなどなどが、時系列も忖度されないまま並んでいくことになると思います。

まあ、なんのたしにもなりはしませんが、一般的な生活とはちょっとちがう感覚の時間が流れていたり、すこし日常とはちがう空気感は味わってもらえるのではないかと思います。

ちなみに前掲の写真は、2004年6月30日にグラウンドを見おろすハウスから眺めた夕日です。

はじめは通いでグラウンドづくりの作業をしていましたが、いつからかぼくはひとり現地で寝泊まりするようになって、こんな景色をいつも目にしていたのですね。

美しい景観のなかに、そこはかとない「孤独」が見えるのは、そのときのぼくの心境が映り込んでいたからでしょう。

愉しい遊びのなかにも、というか愉しかったからこそずっと感じていた孤独。毎日が「宴のあと」のようだったからでしょう。

いま当時の写真を整理していると、ふっと浮かんでくる感慨です。

2016年11月25日金曜日

キャッチボールの1球が開いてみせた新天地への扉


さきのドラフト会議でプロ野球の某球団から上位指名され、新天地に身を投じようとしている社会人野球の青年の調整ぶりを見学させてもらう機会を得ました。

すでに、プロでものになった選手ではなく、いつまでもなれない素材ともちがう。
ある才能と運とを秘めた存在が、いままさに新世界にジャンプアップしようとしている瞬間に立ち会っている感覚は、とても新鮮で刺激的でした。

とくに執筆のための取材ということでもなく、ひとりの野球ファン、かつて草野球を遊んでいた野球好きとして体験できた愉快な時間でもありました。

大学から社会人へと進む投手とふたり。

陸上競技場のサーキットで軽くアップしたのち、かなりハードなダッシュを何本かしてから、近くの公園に場所を変えました。

そしてふたりの投手が軽いキャッチボールをはじめたそのとき、それまでの物見遊山な気分はぶっとんで、背中を戦慄が走っていました。

彼が軽く投げた球に、信じられないパワーを見て取ってしまったからです。
それまで、ただただ眺めているつもりだった観察眼が、突然に旺盛な好奇心に変わってしまいました。

モーションを起こすことなく、肘と手首のスナップだけで投げる彼のボールが、その動きとはまったく相関関係がないかのごとく、想像を絶する勢いで相手のグラプ収まったのです。

「世界のバランスが、彼のまわりだけゆがんでしまったのか?」

そんな感覚、といったらいいでしょうか。

これまでのぼくの常識では測れないことが、目の前で起こったのです。
彼が投げる凄まじいボール(キャッチボールのです)と、彼の華奢なからだとがまったく結びつかないことの戸惑いと、とてつもない興奮…。


自分たちで野球場をつくって長く草野球を遊んでいたなかで、いろいろなピッチャーを目にしてきました。

プロの指名を蹴った投手。社会人の現役投手。
元プロ野球の投手と対戦したこともありました。

もちろんキャンプ地や球場のマウンドで、プロの投球をグラウンドレベルで目にした経験はいうまでもありません。

しかし、そんな経験や感覚では測れない事態が、目の前で生起していたのです。

いま同じ公園で草野球を遊んでいる若者たち。
そこに混じっても、なんの違和感もなさそうな青年です。

そんな彼がプロ球団から上位指名された理由。
その答えを、有無をいわさず説得させられた思いでした。

野球というスポーツでときおり目撃することになる奇跡のような瞬間。
彼のキャッチボールの1球が、その扉を開けてしまいました。

しばらくは野球を外から見てみたい、なんて甘っちょろいことを考えたりしてました。
ところが彼が投げた何気ないその1球によって、あらためて野球というゲームに取り憑かれてしまったみたいです。