2016年11月28日月曜日

グラウンドは刻々と表情を変えている。


前回からはじまった「DREAM FIELD 野球場づくりの愉しみ」(仮題)。

まずはそのドリームフィールドと名付けた野球場(その理由はいずれまた)がどんなものだったのか、ざっと紹介しておきましょう。

写真は2003年のものです。

なんてことはありません、ぼくたちはカープがズムスタを本拠地にした2009年より前から、内外野天然芝の野球場で遊んでいたのですね。

ようやくプロ野球が草野球の感性に追いついて来たということで、まずはめでたしめでしたしといったところでしょうか。(笑

あのころは「ダイヤモンドが天然芝であることの意味」をよく理解していたファンはすくなかったと思います。
実際にプレイしてみればわかりますが、愉しさがまったくちがいます。異次元もの。

「緑の芝のうえを白球が転がってくる!」

あるいは

「おれの打球が緑の絨毯を走って野手の間を抜けていく!」

こんな興奮とともに野球ができる贅沢というんでしょうか。

そんなナイスな野球場を本拠地にしているからカープは優勝できた。
そういっても過言ではありません。

野球を愉しみながら、カープは強くなってきたのでしょう。

それはさておき、なぜここで写真の年をことわっておくかというと、野球場の表情がそのシーズンによってちがってくるからです。

天然芝の野球場は芝の状態で青みがちがって見えます。
生き生きとしていれば見栄えはいいし、芝に元気がなければ冴えない感じにもなる。

また、どのように芝を刈りそろえるかでさまざまな模様があらわれます。
まっすぐにスジ状になっていたり、チェック模様に刈り込んでみたり、同じ球場でありながら、まるで洋服でも着替えるようにダイヤモンドの柄が変わっていたりするのを、あなたも気づいたことがあるでしょう。

無機的な人工芝の球場にしても、時間とともに芝が傷んでいって見苦しくなったりします。
藤井寺球場の最後のころは、芝がすり切れて下のコンクリートが透けて見えそうで、憐れをかこってましたから。

それでも一般の野球場の場合は日常的に「芝生を管理」しているので、極端に景観が変わって見えるようなことはありません。

いっぽう、わがドリームフィールドはといえば、週末だけメンバーが集まって「雑草と格闘」するような作業だったのでシーズンどころか、その日によってまったく見た目がちがっていたりしました。

ゲームがある日はなんとか刈りそろえていたものの、それでもどこまでできたかで印象はちがってきて、大げさでもなんでもなく、日によってまったく別の野球場になってしまってました。

たとえば、こんな感じ。


前の写真の2か月後です。

芝にまじって雑草がいばっていて、とても野球をするグラウンドではありませんね。

それでも刈りそろえると、こうなります。


どうです、すこしはマシになったでしょ。
数十分の時間差です。(笑

ふだん何気なく「おお、きれいじゃん」なんて眺めている野球場も、管理スタッフのみなさんのおかげで見栄えよく、またプレイしやすく手入れされているのですよ。

ドリームフィールドが一般の野球場と決定的にちがっていたのは、段々状に広がっていた畑や田んぼを平に造成してもらって、そこに砂を入れてならし、芝生の種を蒔いて育てながら作り、手入れしていったので、そのプロセスで有り様がかなりちがっていたことです。

芝生がだいたい生えそろったのは、種を蒔いて3年目の1997年あたりだったと記憶しています。

それからしばらくは、刈っても刈ってもすぐに伸びてきて、刈った芝がバックネット下とかスタンドの横とかに、うずたかく積もってしまって処理に困るほどでした。
人間でいえば少年期から青年期になったころの頭髪、そんな感じでした。

                    ❉

ところで、冒頭の写真のグラウンドを自己評価すれば70点といったところでしょうか。(そのうち100点にちかい写真をドヤ顔でお見せいたします)

外野とファウルゾーンはなんとか刈りそろえてますが、ダイヤモンドは縁周部だけ。全体に手がまわっていません。(それは、ある理由があってのことでした)

ドリームフィールドの広さは両翼が約93メートル。中堅が115メートルで、当時広島東洋カープが使用していた旧広島市民球場とほぼ同じ広さでした。

これを素人が集まって手作業で維持管理していたのですから、手がまわりきったと思えたことは記憶にありません。

ここで“大変自慢”をしても仕方がありませんが、それもまた愉しからずや、です。
たとえば下の動画のように、ゴーカートで遊んでいるかのような気分で草刈りをしてみたり…。


この動画で映画「フィールド・オブ・ドリームス」(W.P.キンセラの「シューレス・ジョー」が原作)のあるシーンを思い出されたひともいることでしょう。

 

なかで、ぼくもコメントしてますが、ケビン・コスナー扮する主人公の農夫がトウモロコシ畑をつぶして野球場にするためにトラクターに乗ってトウモロコシを倒していくシーン…。

あれを見た瞬間、「ぼくも野球場を作ろう!」そう決心していたのです。
そういう意味では罪なシーンでした。(笑

ちなみに今回掲載した写真のダイヤモンドのなかほど、マウンドの前に白線で文字が見えると思います。
あるファベットで「TUDA」と書いてあります。

そして写真右下の撮影日は「2003 7 20」となっています。

そうです。
元カープのストッパーだった故津田恒美氏の命日のときの写真だったんですね。

そして、ぼくたちはいまから「津田恒美メモリアルゲーム」をはじめようとしていた。
そのときのスナップです。

なのでダイヤモンドに「TUDA」とあしらうための時間がとられて、芝刈りがおろそかになってしまったのでした。(それにしても「つ」をいつから「TSU」とローマ字表記するようになったんですかね)

この津田恒美メモリアルゲーム。
ドリームフィールドが開場した1995年の翌年、1996年からはじめたはずです。

「野球場ができたら、きっと津田の霊がやって来ていっしょにゲームができるんだ!」

フィールド・オブ・ドリームスでは、農夫の野球場に、かつての名選手シューレス・ジョーがやって来て彼の野球場を喜んでくれた。
ぼくらのドリームフィールドでは、それが津田恒美だったのです。

 あのころは命日の「海の日」が固定の祝日で、かならず休みだったのでちょうどよかったのですね。

「津田恒美を偲んで、記念のゲームをしよう!」

思いついたらすぐに実行できる。
これが自分たちの野球場を持っていることの強み。
なんといっても場所の確保をする心配がいらないのですから。

なんでもそうですが、会場となる場所を探して確保するのは大変なこと。
イベントどころか、ちょっと練習するための球場を手当するのもままならないというチームや野球部もあるようで、皆々様の気持ちお察しいたします。

もしなんなら、自分たちで野球場つくってみてはいかがでしょうか。

                    ❇

ちなみに、この年の津田恒美メモリルゲームは、わがコーンズと写真に映っているアクティブJというチームで2試合していましたね。

結果は1勝1敗の痛み分けでした。














0 件のコメント:

コメントを投稿