2016年12月21日水曜日

木肌に映る懐かしい原風景




すっかり郷野小学校に魅入られてしまった私。
無理をたのんで校舎の内部を見学させてもらいました。

案内をしていただいた藤田覚治校長先生と校長室でしばし歓談。

私が同じ安芸高田市内で手づくり野球場「ドリームフィールド」をつくって遊んでいたことはご存知で、話題はいつか校庭の天然芝に。

ドリームフィールドも郷野小学校の校庭といっしょで、いちおー内外野総天然芝でしたからね。

「ぼくたちの場合は金がなかったので種を蒔いて育てたのですよ、あっはっはっ」

昔の自慢話をするようになっちゃおしまいだななんて思いつつも、つい自画の自賛はおさまらず…。


「ところで芝生は、なにを?」と、校長先生が質問されました。

さすがに良い子のように「ハイ!」と元気よく手をあげることまではしませんでしたが、私はわが意を得たりと答えました。

「春夏秋冬、いつもグラウンドがグリーンになるように2種類蒔いたのですよ」と。

「ほっ、ほー。で、なにとなにを?」

「えっとですね、バミューダグラスとケンタッキー…」

といったところで、ついケンタッキーフライドチキンが頭に浮かび、
「いやいや、フライドチキンじゃなくてなんだったっけ」と、頭が混乱したとたんに「ブルーグラス」が思い出せなくなって、「ケンタッキーブルーグラス」という芝生の名前は木造校舎の上に広がりはじめていた青空の彼方に消えていってしまいました。

先生に問われると緊張して答えに窮してしまうのは、小学校時代から変わらない性癖のようです。(笑


ところで校庭が天然芝であるがゆえに手入れは大変なわけで、その作業を地域のみなさんが協力してやってくれているのだとか。

つまりは学校のOB・OGたちがこどもたちのために、自分たちの母校のためにと整備のお手伝いをしてくれているのですね。

「先生をはじめ、地域のオトナたちに守られている」

そんなやさしさに包まれたこどもたち、そして木造校舎なのです。


「それではご案内しましょう」
そういって校長先生が最初に見せてくれたのがこの衝立て。

邪悪なものが入らないように
玄関に立てておくやつですね。

それってまさか、私が進入禁止とか? ^^;


正面玄関から入ってすぐの階段です。

年季でくすんで黒光りするこの威厳はどうでしょう。
これが郷野小のシンボルなんだとか。

わかる、わかる。



どうですこのピカピカ廊下。
米ぬかを詰めた「ぬか雑巾」で拭くとこうなるのです。

鉄筋コンクリートはときとともに劣化するばかりですが
木造の廊下は老化しらず、なんちゃって。
使えば使うほど光沢がまして味がでるんですね。

木造校舎の定番となった感のある雑巾がけタイムトライアル。
ここでは「ぬかピカレース」というらしいですが
それを毎年やっているんだとか。

いいですね、校舎のお背中流しているみたいで。
孝行の念とか感謝の気持ちとかが伝わってくるようです。


今年の在校生は61名。
校舎にはそれだけの柱があるので
ひとりひとりにあてがわれて
その成長ぶりが記録できるのですね。

「柱のキズはおととしの〜」
なんて歌がありますが
ここでは「柱のしるしは6年間の〜」の“マイ柱”。

文字通り「校舎とともに成長していく」こどもたち。


廊下に斑点のように浮かんだシミは
ツバメのフンの跡だそうです。

毎年、季節になるとツバメが飛来して巣を架ける。
そのツバメたちがこの廊下を
こどもたちと戯れるように飛翔する様子は
さぞや和やかな景色でしょうね。

そういえば半世紀も前に同じ木造校舎で学んだ私にも
同じような記憶があったようななかったような…。


これ懐かしいですよね。
ゴミシューターですよ、きっと。


教室のなかでコの字に組まれた机たち。
9人だけのクラスに教室は広すぎるのです。

寄り添うように学ぶ生徒たちの姿を想像すると
愛おしくもあり、うらやましくもあり。

もしかしてこんな規模での学習が
教育環境としては理想的なんじゃないかな。
そんなことが頭をよぎりましたね。

おもいやりとかおだやかさとかを
おいてきぼりにしながら
しゃにむにマス教育に走ってしまった時代に
こんな美風がすっかり
すみっこに追いやられてしまったのかもしれません。




「理科室」に思い入れがが強いのはなぜでしょうか。

はじめて化学反応という
マジックに出会った教室だからでしょうか。


こどもたちの歓声が大好きな
フェアリーたちが
羽を休めてるゾ!


この窓辺から校庭を見おろす視線は
われしらず慈しみにあふれていて…


どれほどの時間だったでしょうか。
校舎をざっと見学しただけでしたが
すんなりととけ込めた懐かしさと親しみ。

この校舎だったらまた机に座って勉強してもいいかな
そんな殊勝な気持ちになっていました。


この校舎をつくるために尽力された
80年前の校長先生のお墓が
国道54号線をはさんで
お向かいのお寺さんにありました。

地域のみんなで協力して建てた愛おしい校舎を
いつまでも見守ってくれているのですね。


動画はこちら


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