第5回にして、ようやく造成前の現地の全貌が明らかに。(笑
下の写真がドリームフィールドになった場所です。
向かって左手から畑と田んぼが段々にさがっていくような土地で
ずっと休耕状態だったので荒れ地のようになってました。
このままだったら、とても野球場にはなりませんし、ここでやってみようとは考えもつかなかったでしょうね。
「工事で出る残土で埋めて造成する」
という条件だったので下見に行って検討してみることにしたのです。
奥には中国自動車道が走ってますし、民家が隣接している。
なによりも、この荒れようでしたから、はじめは躊躇しました。
でも「野球場にする土地を選ぶ」なんていう経験をしたことはありませんでしたから
条件をくらべる対象がないのですね。
だったらこれも何かの縁だろう、ということでお借りすることに決めました。
1993年の初夏のことでした。
たしか、この下見の10日ほど前だったと思います。
新聞織り込みのツールの制作を依頼されて、打ち合わせに近くの島根県の町に行ったのですね。
そのクライアントは、過疎地の土地を安く入手してそこにキットのハウスを建てて、それを分譲別荘として売るというビジネスをはじめていたのです。
塩漬けになっていた土地に価値を付加して地主に還元する。
都市生活者に安い別荘を提供する。
別荘地にコミュニティができて、ひとが出入りすることで町が活性化する。
いわゆる“三方一両得”のビジネスというやつです。
そのクライアントとの打ち合わせのなかで、「過疎地に土地はあまっている」というのを実感したのですね。
それでその帰りに知人のアトリエに寄って相談してみたのです。
「どこかに野球場にできるような土地はないですかね?」と。
するとその知人はこともなく
つまり「なにをバカ気たこといってんの」というリアクションではなく
「どこかにあるんじゃないですかね」
そういって探してくれたのです。
そして、一週間ほどして土地の概要を記したファックスが彼から送られて来ました。
「天よりの声、ファックスにて届く」です。(笑
❇
野球場をつくる、ということは一般的なことではないので、土地の手配とか段取りとか馴染みがありませし想像もつきません。
それで「そんな土地はないでしょ」とか、「そんなもんできっこないっすよ」と、みずからブレーキをかけてしまう。
まあ、安易にやるようなことではないけれど、夢を持っているのならば簡単に諦めてしまうのはもったいない。
「叩けよ、さらば開かれん」
です。
野球場をつくることにはなった
でも土が入って造成がすむまではなにをしていいのかもわからず
とりあえず草刈りをして
野球場にする前に一度きれいにしてみようということになりました
上の写真はその初日のスナップです
これから「おバカな遊び」をはじめるという
すべりまくりの高揚感
得体の知れないハシャギっぷりが
よくあらわれている写真です(笑
はっきりいって
草を刈ってきれいにしても
いずれは残土に埋もれてしまうのです
無為の作業とはわかっているのですが
それでもその行為自体が
何かを生み出す「祈り」になると思えたからでしょうか
意外に頑張れましたね
雑草を刈りはじめてみると
化け物のような蜘蛛がツーとあらわれたり
巨大なカエルが飛び出してきたりと
さまざまな魔物があらわれて
ちいさな冒険物語りにふさわしい
スタートとなりました
上の写真の奥に写っているのは
テレビ局のカメラクルーです
「野球場づくりを宣言」して
人的経済的な支援の輪を広げたいということで
取材してもらいました
はじめは軽い気持ちでメディアに応援を仰いだのですが
しだいに大変な事態に発展していくことになります
それはまた後日
作業が終わってのバーベキュー
というよりこのころは
バーベキューをしに集まって
ついでに草刈りをしていた
そんな感じでしたね
こんな草刈りを何度かして
用地はだいぶんきれいに整備されました
こうして見ると
簡単にできたみたいですが
土に埋もれていた網を引き上げたり
電柱を片付けたり
かなりハードな肉体労働のあとの結果です
そしてこの整備された土地で
ぼくたちは野球場づくりのための
あるイベントを開催することになります
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