2016年11月1日火曜日

「食を断つ」という栄養学


断食をはじめて3日目の朝を迎えた。
とくに気張ってはじめたわけではなく、ふいっと思い立ってのことだ。

いつものことだが、すこし過食気味になっていて、そうなるとますます意地汚くなって、ほとんど餓鬼状態になってしまう。
それがいくところまでいくと、さすがにからだからサインが出てストップがかかるのだ。

だいたい過食になるのも当たり前で、外に出ていればひとに会ったり移動したり、ついでの用もたしたりして時間は費やされるが、ずっと家にいるような生活をしていると、やること考えることは限られてくる。

一応は仕事と、それに類する雑事で日がな一日過ぎてしまうのだが、そのしまりのない時間のケジメが、どうしても食事になってしまう。

それで、わかっていながら過食に過食を重ねるようなことになってしまう。
とくにぼくの場合、酒をやめてからは甘いものに趣向が走ってまずいことになっている。

間食に歯止めがかからなくなってしまうようなことがよくあって、先だっての日本シリーズでも、観戦しながらちょっと手をだしたアーモンドチョコレートを、緊張のたびにひと粒、興奮のたびにひと粒と、気がついたら一袋食べあげてしまっていた。

日々、淡々と正しい食事をしていれば、断食までするようなことはないのだ。
とはいえ、ぼくの断食は多少趣味的な意味合いもあるので、なにか自分なりの口実をみつけてはやるにちがいない。

今回の場合は、きょねんからずっと抱えている肩の痛みの原因が、砂糖の過剰摂取からきているかもしれないと知ったこともあって、砂糖断ちという気持ちもあってのことだ。

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断食をすると、自分がどれだけの毒や老廃物を溜め込んでしまっていたかが体感できる。
そして、それらが徐々に輩出されていくときの快感も味わえる。

また「行」を達成したような、不思議な満足感がある。
ちったぁましな人間になったかな、そんな感覚といえばいいか。

これがあるから、定期的に断食がしたくなるのだ。

断食は食事を摂らないのだから、行為としては消極的なものといえるが、健康面からみれば、あるいは精神修養という意味からもこれほど積極的なアプローチはない。
本人に強い思いがなければなかなか踏み切れるものではないし、それを成し遂げたあとの効能は劇的だ。

いま野球界でも食事の管理に気をつけている選手は少なくないが、大谷翔平のメニューだったか「断食」が意識的に組み入れてあるのを見たときは驚いた。

ダルビッシュの食事管理の徹底ぶりは有名だが、からだが資本のアスリートのことだ、それなりの意識があって当然といえば当然なのだが。

縁あってときどき高校野球の現場に取材にいったりするが、関係者の意識の高さに驚いてもいる。
たとえば、学年と学校を問わず思いがけずたくましい彼らの体躯とか、グラウンドで見かけるちょっとした異変は、そんなところからもきているのだろう。


かつて西武ライオンズ黄金時代を築いた広岡達朗監督が、選手に玄米食と節酒を推奨したことがあった。
推奨というより強制に近かったようで、選手からはかなり反発があった。

あんなまずいもの食えるかよとか、なんでおれたちだけ飲んじゃいけないんだよ、という選手たちの不満の声が外野まで聞こえてきたものだ。

しかし、広岡ライオンズはすぐに優勝という結果を出し、それから黄金時代を築くことになった。
もちろん玄米食だけで優勝できたわけではないだろうが、その効用はちいさくなかったように思う。

というのも、自分が玄米食にしてみて、そのよさを体感したからその手応えがわかるのだ。
きっかけはもう忘れたが、玄米食を腹八分目でつづけて3か月くらい経過したころだったろう、思い出したように体重計に乗ってみたら15キロ体重が落ちていた。

野球選手たちのように鍛え上げての体重ではなく、ぶくぶくの過食デブだったのがそれだけ痩せたのだ。
知らず知らずのうちに理想の体重になっていたことになる。

そうなると筋肉まわりの無駄な脂肪もとれるはずで、それまで意識したことがなかったというか、できなかったインナーマッスルの存在がはっきりとわかるようになった。
筋肉そのものが強化された感じもあって、動作を支える筋繊維が伸縮しているのがよくわかった。そして筋繊維が動きに力とスピードを与えていることも。

感覚的には身体能力が10%はあがったのではないか、そんな感覚があった。
そのときライオンズの強さの秘密の一端をのぞきみたような気がしたものだ。

よくペナントレースの何試合かは監督の采配で決まるとか、トレーナーの存在があるといわれるが、全体を通して勝敗に影響を与えているのは食事の取り方と内容なのかもしれない。


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