2016年10月31日月曜日

『黒田博樹伝説』のはじまり

黒田博樹ネタの連投で失礼。

広島東洋カープが黒田博樹投手の背番号「15」を永久欠番とすることがわかったという。

まずは、「おめでとう」の祝意を表明したい。
これで彼がカープ球団に与え残した功績は具体的な栄誉として継承されることになった。

たしか日本シリーズがはじまる前だった、黒田投手の「15」番を“準永久欠番”にすることも検討しているという球団サイドの意向(松田元オーナーの意向というべきか)が伝えられていた。

「まだ具体的には考えていないけど、(「15」番を)つけられるような選手はおらんだろ。何十年もすれば出てくるかもしらんけどな」

と、最大限に持ち上げながら、永久欠番ではなく「準永久欠番として球団あずかりの空き番」にするつもりだとオーナーは語っていた。

そのときは、この扱いに「なぜ永久欠番ではないのか?」と驚き、また疑問に思った。
これだけの功労者を「準」扱いはないだろうよ、と。

それで、あたためて各球団の永久欠番を調べてみた。
するとあらためて、永久欠番の重みというものを感じざるをえなかった。

カープでは山本浩二の「8」と衣笠祥雄の「3」が永久欠番になっているのは言わずもがな、ジャイアンツ長嶋茂雄の「3」や王貞治の「1」とか、すぐにいくつもの永久欠番に思いいたる。

だから、かなりの数があるように思い込んでいたのだが、偉大な選手を多く輩出してきたジャイアンツは別にして、永久欠番はそれほど多くはない。(詳しくはこちらを→野球界の永久欠番

ならば黒田投手の「準永久欠番」もありか、と納得していたのだが、今回めでたくランクアップして永久欠番ということになった。

はじめ準永久欠番にすればじゅうぶんと踏んでいたらしいオーナーも、内外からの異論、提言、批判、抗議、いろいろあったのだろう。
そんな声に押されるように「準」をはずしたことで、晴れて永久欠番は決定したということのようだ。

新聞報道によると「(この意向に対して)球団内に異論はなかった」という。
もちろんそんなものが出ようはずもない。
当のオーナー本人の意向なのだろうから、意見できるはずもない。

このあたりが、よくも悪くも小回りがきき決定が早い個人商店の特徴というところだろう。

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同オーナーは「一般の価値観を覆し、成績だけでなく、社会的に影響を与えた投手。この歴史を後世に残すべきだ」と、その理由を語っている。

「成績だけでなく」と、あえて断っているように、成績や記録のみから判断すれば、たしかに黒田投手のそれは少し物足りない。

日米通算200勝といっても、200勝だけなら純国産で先輩の北別府学氏が過去に達成している。
しかし彼の背番号「20」は準欠番となり、いまは永川勝浩投手が背負っている。

タイトルにしても最多勝利と最優秀防御率のタイトルを各一度獲得しているだけ。
その程度の選手なら、球界にはいくらでも名前をあげることができる。

優勝への貢献度でいえば、最後の最後に1回のリーグ優勝だけだ。

それでも彼の永久欠番に異をとなえるファンはほとんどいないだろう。
どころか、諸手をあげて歓迎しているはずだ。

チームへの貢献ということでは、文句のつけようがない。

かつて津田恒美投手が、それほどの実績がないにもかかわらず野球殿堂入りした。
そのことで賛否両論の議論がわきあがり、選考のあり方に疑問が投げかけられることになった。

もしかするとこのときと似たような疑問も、一部では出るかもしれない。
それはそれで議論すればいいし、それも含めてのプロ野球だ。

それにしても津田恒美しかり、黒田博樹しかり、どうもカープというチームには、不思議な人間的な魅力で実績や記録をぶっ飛ばしてしまうような選手が出てくる土壌があるようだ。






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