2016年10月31日月曜日

『黒田博樹伝説』のはじまり

黒田博樹ネタの連投で失礼。

広島東洋カープが黒田博樹投手の背番号「15」を永久欠番とすることがわかったという。

まずは、「おめでとう」の祝意を表明したい。
これで彼がカープ球団に与え残した功績は具体的な栄誉として継承されることになった。

たしか日本シリーズがはじまる前だった、黒田投手の「15」番を“準永久欠番”にすることも検討しているという球団サイドの意向(松田元オーナーの意向というべきか)が伝えられていた。

「まだ具体的には考えていないけど、(「15」番を)つけられるような選手はおらんだろ。何十年もすれば出てくるかもしらんけどな」

と、最大限に持ち上げながら、永久欠番ではなく「準永久欠番として球団あずかりの空き番」にするつもりだとオーナーは語っていた。

そのときは、この扱いに「なぜ永久欠番ではないのか?」と驚き、また疑問に思った。
これだけの功労者を「準」扱いはないだろうよ、と。

それで、あたためて各球団の永久欠番を調べてみた。
するとあらためて、永久欠番の重みというものを感じざるをえなかった。

カープでは山本浩二の「8」と衣笠祥雄の「3」が永久欠番になっているのは言わずもがな、ジャイアンツ長嶋茂雄の「3」や王貞治の「1」とか、すぐにいくつもの永久欠番に思いいたる。

だから、かなりの数があるように思い込んでいたのだが、偉大な選手を多く輩出してきたジャイアンツは別にして、永久欠番はそれほど多くはない。(詳しくはこちらを→野球界の永久欠番

ならば黒田投手の「準永久欠番」もありか、と納得していたのだが、今回めでたくランクアップして永久欠番ということになった。

はじめ準永久欠番にすればじゅうぶんと踏んでいたらしいオーナーも、内外からの異論、提言、批判、抗議、いろいろあったのだろう。
そんな声に押されるように「準」をはずしたことで、晴れて永久欠番は決定したということのようだ。

新聞報道によると「(この意向に対して)球団内に異論はなかった」という。
もちろんそんなものが出ようはずもない。
当のオーナー本人の意向なのだろうから、意見できるはずもない。

このあたりが、よくも悪くも小回りがきき決定が早い個人商店の特徴というところだろう。

                    ❈

同オーナーは「一般の価値観を覆し、成績だけでなく、社会的に影響を与えた投手。この歴史を後世に残すべきだ」と、その理由を語っている。

「成績だけでなく」と、あえて断っているように、成績や記録のみから判断すれば、たしかに黒田投手のそれは少し物足りない。

日米通算200勝といっても、200勝だけなら純国産で先輩の北別府学氏が過去に達成している。
しかし彼の背番号「20」は準欠番となり、いまは永川勝浩投手が背負っている。

タイトルにしても最多勝利と最優秀防御率のタイトルを各一度獲得しているだけ。
その程度の選手なら、球界にはいくらでも名前をあげることができる。

優勝への貢献度でいえば、最後の最後に1回のリーグ優勝だけだ。

それでも彼の永久欠番に異をとなえるファンはほとんどいないだろう。
どころか、諸手をあげて歓迎しているはずだ。

チームへの貢献ということでは、文句のつけようがない。

かつて津田恒美投手が、それほどの実績がないにもかかわらず野球殿堂入りした。
そのことで賛否両論の議論がわきあがり、選考のあり方に疑問が投げかけられることになった。

もしかするとこのときと似たような疑問も、一部では出るかもしれない。
それはそれで議論すればいいし、それも含めてのプロ野球だ。

それにしても津田恒美しかり、黒田博樹しかり、どうもカープというチームには、不思議な人間的な魅力で実績や記録をぶっ飛ばしてしまうような選手が出てくる土壌があるようだ。






2016年10月30日日曜日

黒田博樹が残していった「宿題」


日本シリーズのゲームがない朝が明けた。

どこか物足りなさはあるものの、それはそれですがすがしくもある。
自分がグラウンドで戦ってきたわけではないが、観戦しつづけてきたファンとしての充足感、達成感のようなものがあるからだろうか。

ペナントレースは、正直言って身が入らなかった。
ここ最近つづいているセ・リーグ各チームの低迷ぶりから試合そのものが凡庸で、レースの進展においても佳境というものがなく、カープはぶっちぎりで優勝してしまった。

かつて話題になったキンチョウ蚊取りのコマーシャルではないが

「つまらんのだ!」

そんな心境で機械的に観ているようなところがあった。

それが日本シリーズのセ・パ頂上決戦になって、ようやく勝負の面白さ、緊張感を堪能することができた。
結果は残念なものに終わってしまったが、素直に負けを認めてファイターズの強さ、巧みさ、ねばりに敬意を表したい気持ちでもある。

いまではつい忘れそうになるが、25年間カープファンはこの愉しみを味わうことができなかったのだ。
ある種の怠慢からチームをこの舞台にあげることを引き延ばして快感を倍加してくれた球団フロントにも、あらためて感謝しなければならないだろう。(笑

                    ❊

ズムスタでいきなりカープが初戦、2戦を取って2連勝したときは、ついその気になってカープが4勝1、2敗でシリーズを制するだろうと予想していた。

その予想とはまったく逆の結果になってしまったわけだが、「黒田博樹投手の2度目の登板はないだろう」という予感だけは残念ながら当たってしまった。

それだけは、心残りといえば心残りだ。
覚悟していたこととはいえ、もう一歩のところで実現できそうなところまでいっていたのだから、はぐらかされた感もある。

カープの敗因をあげればいろいろあるだろうが、要はペナントレースそのままの戦い方をしてしまったことにつきるだろう。
レギュラーシーズンと短期決戦の日本シリーズの戦い方を、首脳陣がわきまえていなかったのだ。

でも、それは仕方がないことだ。
なんといっても、日本シリーズの指揮をとったのははじめてなのだから。
緒方監督本人がいっているように、これもお勉強だ。

ただ個人的に残念だったのは、『カープの日本シリーズ』を首脳陣が明確にイメージし、はっきりと提示できなかったことだ。
だから選手にはモチベーションの在所がはっきりしなかったし、ファンには明確なメッセージが伝わってこなかった。

『真赤激!』

こんなわけのわからない空念仏はいらないが、このシリーズでカープはこういう戦いを見せる、あるいはこのために戦うというメッセージが欲しかった。

ファイターズの場合はそれが、『大谷翔平のシリーズ』だったし、今季で引退する武田勝を押し出しての「勝のために」というストーリーだった。

ところがカープは、ペナントレースを制し、クライマックスシリーズを勝ち上がった「そのまま」の戦い方でシリーズに挑んでしまった。

それは用兵にも采配にもあらわれていて、ジャンソン投手への必要以上の信頼とこだわりに見られたように、最後まで「シーズンの戦い方」に殉じて沈没してしまったようなところがあった。

そこには、シリーズのモチベーションとなるストーリーがなかった。
その違いが僅差のゲーム展開で勝敗を分けたように見えた。

一応は「黒田さんのために」という思いは首脳陣にも選手間にも共有されてはいたのだろうが、それがディテールのはっきりとしたストーリーにまでブラッシュアップできなかった。

もしそれができていたならば、きっと展開はまたちがった様相を呈していただろう。

選手や首脳陣の心中を察することはできないが、たぶんきのうの試合はそれどころではなく、目の前のプレイをどうしようかという危機感と緊張とでいっぱいいっぱいだったのではないだろうか。
それほど彼らは追い込まれていたように見えた。

その緊張感やプレッシャーを「黒田さんのために」というモチベーションに転換することができなかったのだろう。

こういってはファイターズファンに失礼だが、「黒田さんのために」という旗印を鮮明にしたなら、「勝のために」のストーリーよりは強力であったし、『大谷のシリーズ』もぶっ飛ばせただろう。
そうなればシリーズの大きな流れをカープ側に引き寄せることができたのではないだろうか。

繰り言になるが、その意味では第1戦にジョンソンを投入するのではなく、黒田先発もありえたのではないかという思いは消えない。

「黒田博樹のために」を内外に宣言するために。

「勝てる投手を投入する」というのも間違いではないが、「シリーズに勝てる雰囲気を作る」という考えもあっただろう。

勝ち負けは結果だから、そのことで首脳陣を批判するつもりはないが、負けるにしても「黒田のために」討ち死にしてくれていたら、という不満は残った。

                   ❊

ここ最近よく思うのは、黒田博樹は「客人(まろうど)」のようだったということだ。

他の世界からひょっこりやってきて、なにかをなして去って行く。
そんな希有な存在だ。

彼はメジャーに行く前と後とでは、まったくちがう投手だった。
人間的スケールにおいても格段に大きくなって帰ってきた。

メジャーにいかない前の黒田博樹は、「優勝には縁のないチームの、ただのエース」だった。
それがメジャーに渡って、まったくちがう投手として生まれ変わった。

速球で勝負する本格派から、心理的な駆け引き、投球技術を駆使して勝負する総合派のピッチャーへと変身してメジャー屈指の投手となった。
そのメジャーでバリバリの投手が、ひょっこりとカープというチームにやってきた。

まさにメジャーという“異界”からあらわれ客人だ。

2006年オフに黒田はFAの権利を封印してカープに残ってくれた。
しかしそのとき、カープファンは本当には黒田の気持ちの深さを理解はできていなかったし、黒田自身もいまのような黒田ではなかった。

黒田はメジャーでの7年間で着実に成長し実績を積むことで、まったくちがった投手になってカープに帰ってきた。
別人になっといってもいいほどスケールアップした人間になって復帰してきた。

そのとき彼が袖にした20億円という金額の説得力によって、カープファンは彼の気持ちの深さをはじめて知ることになった。

この客人の出現によって、カープは確変した。
成長していた若手は一皮むけ、成長過程にあった選手は背中を押された。

かつて江夏豊という投手がカープを日本一に導くためにカープにやってた“客人”だったように、黒田もカープを25年ぶりの優勝に導くために現れたのだった。

メジャーに行く前は優勝に飢えていただけの投手が、メジャーから復帰したときは優勝に導ける存在となっていた。

その黒田が引っ張ってカープは優勝への階段を一気に駆け上がった。
しかし、江夏豊のときのように日本一にまで導くことは叶わなかった。

江夏豊の場合は、その強烈な個性と圧倒的な投球術でカープを日本一に導いて去っていった。

黒田博樹は目標の手前までチームを引っ張ってきながら、最後にコト切れて引退することになった。
そして、そのためにチームにひとつの宿題を残してしまった。

しかし、この結末も黒田らしいではないか。
そう思いたいし、そう思うことで納得したい。

黒田博樹が残していってくれた宿題。

「あとは自分たちで、やってみろ」

その宿題が、まちがいなくカープ黄金時代の扉を開ける原動力になるだろうから……








2016年10月29日土曜日

シリーズを面白くした『大谷翔平』カードの使い方


広島は、いまのところ曇り時々晴れ、ときおり小雨が落ちてくる。そんな天気。

カープが北の大地で戦っているころ、こちらでは雨模様の天気がつづいていたが、きょうは大丈夫そうだ。
空にはしだいに青空が広がってきている。

ドームの閉塞感のなかで3試合を戦い苦杯をなめてきたカープの選手たちには、空に開放されたズムスタで気分一新して戦ってほしいものだ。

                     ❇

きょうの日本シリーズ第6戦。
ファイターズの先発は大谷投手のはずだったが、あにはからんや栗山監督は増井投手を当ててきた。

理由はいろいろ取りざたされているが、そのひとつひとつがもっともで、たしかにそうすることで選択肢が広がるのには感心した。

さくっ、とまとめてみよう。

「大谷を第6戦の先発に使わない」ことで

 ①勝てる流れになったら大谷投手をクローザーで投入できる
 ②ビッグチャンスに打者大谷を代打で起用できる
 ③この試合を落としても最終戦の先発で勝負ができる
 ④そうなった場合、黒田博樹投手との投げ合いを演出してファンサービスができる
  (もちろんこうなったときも勝てるという判断があってのことだろう)
                    などなど

メリットが、これだけある。

逆に想定どおりに大谷投手を6戦に先発させると、万が一落とした場合に第7戦で大谷という「切り札」はまったく使えなくなってしまう。
選択肢は「第6選の先発」、これひとつしかなくなってしまうのだ。

なるほど。
さすがにペナントレースでホークスとの死闘をしのぎ勝った知将だけのことはある。
この柔軟な発想、奇抜な采配が、あの奇跡的なペナントレース制覇をもたらしたわけね。

もちろん第5戦を勝って1勝リードの余裕からの判断だろうが、この臨機応変さが栗山監督の真骨頂なのだろう。

前の投稿にも書いたように、日本シリーズの7戦をどう戦うかには、大別してふたつのアプローチがある。
短期決戦の4勝を先手必勝で取りに行くか、3試合は落とせるという逆算で采配していくかだ。
今シリーズの栗山監督は、あきらかに後者といえるだろう。

それとは逆に、カープの緒方監督は前者といえそうだ。
第5戦にあえて中4日でジョンソン投手を先発させて先攻を狙ったのは、そのあらわれだったろう。

この両者のちがいは性格、考え方のちがいもあるだろうが、監督としての経験値からもきているように思う。
短期決戦を近視眼的に取りに行って失敗してみなければ、なかなか後者の考えにはいたらない。

                    ❇

ファイターズ側に「大谷カード」の選択肢がふえたということは、それに対するカープからすれば迷いの要因がふえたことになる。
大谷がどこで出てくるのか、どんな使われ方をするのか、その幻影とも闘わなければいけなくなった。
これはかなりのプレッシャーになることだろう。

もしかすると、これが「大谷投手を第6戦に先発させなかった」最大の理由かもしれない。
戦わずして勝つ、使わずして勝とうという戦略だ。

大谷投手は先日の試合で足首を痛めたといわれている。
もしそれが原因で登板を回避したというのが実情だとしても、すでに戦略は功を奏しているといってもいいだろう。

なかなかに、したたかだ。
「栗山カード」も、かなり強力だ。

かつてプロ野球にほとんど例のない二刀流がいることで、なるほど采配の幅が格段に広がるものだなぁ、とあらためて感心した。
それと同時に、野球の奥深さ面白さを再認識させてもらった。

いっぽうの緒方カープ。

札幌では救援投手が打ち込まれ、打線が湿ってしまい、つぎつぎにカードを潰されてしまった観がある。

この局面を緒方監督が、そして選手たちがどのように打開するのか。
どんなカードをどこで使ってくるのか、それも楽しみになってきた。

信じられないプレイを連発し、ありえない勝ち方でペナントレースを制してきたチームだ。
最後の最後に「神って」いたチームだったことを証明してみせてほしい。








2016年10月28日金曜日

シリーズにユニークな“記録”が生まれるか…


日本シリーズ第5戦(ファイターズ3勝 カープ2勝)

 広 島 100000000    1
 北海道  000000104x 5
  勝 バース2勝
  負 中崎1敗
  本塁打 西川1号

いわゆる「スミ1」ってやつですね。
初回に1点で幸先はいいものの、すぐに追加点が取れないと、なぜかこうなりますね。

きのうのゲームでいえば2回表の攻撃。
小窪四球、下水流の二塁打でノーアウト二、三塁の絶好機に得点できなかったのがすべて。

そういっては実もフタもありませんが、なぜか「野球ではそうなる」のですね。

「代わったところに打球が行く」
あれと同じです。

なぜか、ほとんどはずれはありません。

あのとき残念ながらカープの「スミ1」は約束されていたわけです。

下水流選手のセンターへの大飛球が、あと一歩スタンドに届かなかったのが象徴的でしたね。
カープは、あとひとつ攻めきれませんでした。

これでカープの2勝3敗。
ここまでのカープ星取り表を、前回のオセロ式にあらわすとこうなります。

 ズムスタ ◯◯
 札幌ドーム  

まあファイターズから見れば白黒は逆になるわけですが、見事にはまってますね。

ホームでは必勝、ビジターでは転ける。
「白黒はっきりしてる」ってやつです。

もうここまできたら、四の五のいわずにこのお約束を守りきって、完璧な『内弁慶シリーズ』として球史にユニークな記録を残してほしいものです。

そうなれば、めでたく『カープが日本一』ですわ。(笑


2016年10月27日木曜日

“内弁慶シリーズ”の行方は?


日本シリーズ第4戦(ファイターズ2勝 カープ2勝)
 広 島 000100000 1
 北海道 00000102X 3
  勝 谷元1勝
  負 ジャクソン1敗
  S 宮西1セーブ
  本塁打 中田1号 レアード2号

これが前日のサヨナラ負けのショックというものなんでしょうか、カープは元気なく、なす術もなく敗退してしまった。

4回表には、エルドレッドの「らしい」大フライをファイターズの近藤が目測を誤って捕りそこね、これがタイムリーエラーになるという僥倖によって1点を先制。
これで流れが来た、とカープファンは小躍りして喜んだはずだが、その幸運をいかすこともできず、ズルズルといたずらに回を重ねてしまった、わがカープ。

地元広島で戦っていたときは「切れ目のない破壊力のある打線」にみえたものだったが、札幌に移動してススキノの風に当たったとたんにフニャフニャ打棒になって、いったいだれが打ってくれるのやらと気を揉むような貧打になってしまった。

勝負なのだから、勝ちも負けるもあるわけで、負けたという事実だけでトガめるつもりはない。
その負け方がよろしくないのだ。

ここは百歩ゆずってサインミス、走塁ミスもよしとしよう。
ただ覇気が感じられなかったのには、心底落胆したし情けなくもあった。

ベンチをのぞき見ても、選手たちの目は虚ろに中空を泳ぐばかり。声を枯らして応援している選手は目には入らなかった。

ただただ手をこまねいて、死刑執行されるのを待つ死刑囚のようにゲームが終わるときを待っているようにしか見えなかった。

ついこの間までグラウンドで見せていたあの得体の知れない一体感、はつらつとした元気はいったいどこにいってしまったのだろうか。
菊池選手ひとり健闘していたが、寒風にさらされている線香花火でも見ているような侘しさばかりが募った。

カープを応援しはじめて、はや40年あまり。
1975年の初優勝時、あるいは日本一となった1979年のときとくらべても今年のカープは遜色ないチームだろう。
というよりも歴代最強チームといって、否定するファンはほとんどいないのではないか。

そのカープに、最強のチームに、こんな戦い方をされては困るのよ。
安部選手じゃないが、もっと覇気を持って、そして自信を持って戦ってほしいんですよ。

                  ❇

まあ泣いても、こぼしても、これで2勝2敗の五分。
両チームともきれいにホームの試合で白星を並べての痛み分け。
きょうからまたあらたに仕切り直しをすることになったわけだ。(てことで「4勝1敗でカープが制覇」の予想はあえなくはずれてしまいました)

それにしてもお互いにホームではファンの圧倒的な声援を後ろ盾に、のびのびと力を発揮するものの、ビジター球場では借りて来たネコのようにおとなしく、プレイにも精彩を欠くようにみえる。

ホームは勝ち、ビジターは負け。
まるでそれがお約束事にでもなっているかのような星の割り振りだ。

たしかにズムスタ、札幌ドームのスタンドの雰囲気を見ていれば、そうなってしまうのもわからないではない。
ズムスタでいえば、スタンド全体がパフォーマンスシートになってしまったかのような狂躁状態で応援されるのだから、ビジターチームが萎えてしまうのも仕方ないのかもしれない。

とはいえ、あらかじめ勝ち負けの予想がついてしまうようでは、応援するほうは精がでませんて。

いったいぜんたい、これまでもこんなだったっけ?
ということで、カープがこれまで戦った日本シリーズはどうだったのか、ちょっと調べてみた。

それが下記の一覧だ。
勝ち試合は◯、負けは●。△は引き分け。(赤で記したのは、シリーズを制した年)
 □1975年 対阪急ブレーブス

  広島市民球場  ●△●  2敗1分
  西宮球場  △●   ● 2敗1分

 1979年 対近鉄バファローズ

  広島市民球場  ◯◯◯   3勝0敗
  大阪球場  ●●   ●◯ 1勝3敗

 1980年 対近鉄バファローズ

  広島市民球場●●   ◯◯ 2勝2敗
  大阪球場    ◯◯●   2勝1敗

 1984年 対阪急ブレーブス

  広島市民球場◯●   ●◯ 2勝2敗
  西宮球場    ◯◯●   2勝1敗

 □1986年 対西武ライオンズ

  広島市民球場△◯   ●●● 1勝3敗1分
  西武球場    ◯◯●    2勝1敗

 □1991年 対西武ライオンズ

  広島市民球場  ●◯◯   2勝1敗
  西武球場  ●◯   ●● 1勝3敗

この星取り表をホームとビジターとでまとめてめてみると下記のようになった。

  広島市民球場 10勝10敗2分
  ビジター球場  8勝11敗1分

なんとホームでも勝率は5割だった。
短期決戦で、サンプルも多くないからそのまま確率うんぬんをいうことはできないが、こと日本シリーズに関していえばホームもビジターも、勝敗はそれほど偏った数字にはなっていない。

あいまいな記憶ではあるが、かつてのスタンドでの応援ぶりはどことなく牧歌的だった。
派手でにぎやかな応援もなくはなかったが、それは一部のことでスタジアム全体が一緒になって同じ歌を歌い、同じ動きをし、同じ声援で応援するようなことはなかった。

家族でゆっくり弁当を食べたり、仲間で語らったり、球音を楽しみながらときおり声援を送ったりするような観戦ができるスペースは確保されていた。

いま風にいえば、スタジアム全体を支配している同調圧力のような威圧感はなかったし、敵からすれば暴力的な印象はなかっただろう。
ときおり、汚いヤジが飛んでくるくらいがプレッシャーだったにちがいない。

昔からホームに「地の利」はあったにしても、それが勝敗を大きく作用する決定的な要因になっていたわけではなかった。

ところがこのシリーズに関していえば、ここ最近の応援スタイルが大きく影を落としているようにみえる。
まるで「内弁慶シリーズ」とでも言いたくなるほどホームとビジターとで明暗がわかれている。

お互いに地元ではファンの声援を力に優位にゲームを進めて勝ちをたぐりよせるが、敵地では圧倒的なアウェイ感に圧し潰されて自力を発揮できずに敗退している。

ホーム球場の応援がどんどんエスカレートしてきて、声援やメガホンなどのボリュームも、ウェーブやスクワットといったアクションも、かつてとは比べ物にならないほど圧倒的となってしまったことによって、こんな現象があらわれているのだろう。

相手チームのピッチャーや野手にすれば、それはもう応援のレベルをはるかに越えて、「プレイを妨害するノイズや騒動となっている」といってはいい過ぎだろうか。
それはまた、ときにはホームの選手たちのプレイの邪魔にさえなっているのではないだろうか。

プロ野球のスタンドで行われているいまの応援スタイルを全否定するつもりはない。
カープの選手や監督は口をそろえて「応援が力になっています」といっている。

それは事実だろう。
応援が選手たちの力になっていることは疑いようがないし、それで勝った試合だっていくつかはあるだろう。

また応援しているファンには、それが愉しみになっていることもわかる。
しかし、そこにはおのずと節度というものがあってしかるべきだろう。

攻撃のチャンス、守備のピンチ。
ゲームのなかで流れがあり、折々にポイントがある。
それに合わせてスマートにやってこその応援ではないのだろうか。

きのうまでのシリーズの推移を反芻しながら、そんなことを思っていた。






  





2016年10月26日水曜日

黒田博樹〜引退で大いなるギフトを〜




日本シリーズ第3戦(ファイターズ1勝 カープ2勝) 札幌ドーム  広 島 02010  3
 北海道 10201x4
  勝 バース1勝
  負 大瀬良1敗
  本塁打 エルドレッド3号

もしかすると「黒田博樹最後のマウンド」になるかもしれない登板は、思わぬアクシデントによって、あっけないかたちで終幕となってしまった。

その経緯を簡単におさらいしておくと…

6回裏1アウト。
打席には3番の大谷翔平が入っていた。

黒田は3球目に134キロのフォークで大谷をレフトへのフライに打ち取った。
これで2アウト。

そのときフィニッシュの反動でバッターボックス寄りにからだが流れた黒田が、顔をしかめながらマウンドにもどった。
そして何かをつぶやくと、そのまま足を引きずりながらみずからマウンドを降りた。

一連の様子から、事態が尋常のことではないことはすぐにわかった。

「治療のため」であったから、なんらかの処置をした後に、彼はふたたびマウンドにもどってきた。
そして何球かを試投した結果、じゅうぶんなパフォーマンスを発揮できないことを悟ってふたたびマウンドを降り、そのまま投手交代となった。

試合後の本人の談話によれば、「ふくらはぎとハムストリングに張りが出た。(あとひとりという気持ちはあったが)つぎが一発のある中田でもあり、畝コーチと話して降板を決めた」のだという。

5回2/3を投げて1失点。投球数は85球だった。

                     ✽

そのときの様子は、ほとんどのプロ野球ファンが目撃したか、二ユース映像などで目にしたことだろう。
しかし、この状況に直面し目撃したファンの受け止め方は、それぞれだったはずだ。

感慨が複雑に交錯するうえに、このまま本当に彼が現役を引退してしまうのか、それともつぎの登板のチャンスがあるのかまだわからないのだから、なおさらのことだ。

個人的には、きのうの登板が黒田の最後のマウンドになるのではないかという、漠とした予感がある。
というのも、つぎに黒田投手が「投げられる」ためには、クリアしなければならない条件がいくつかあるように思うからだ。

まず、つぎに先発があるとすれば「第7戦までもつれこめば」という条件がクリアできなければならない。

その可能性は、きのうのファイターズの1勝で低くはなくなったが、決して高いとはいえない。
しかも、そのとき黒田投手がマウンドにあがれる状態にもどっているか、というハードルがさらにある。
痛めたのがハムストリングということなので、素人判断だが、これはかなり厳しいと思わざるをえない。

本人も「ひとりの打者でも」という思いはあるようだし、中継ぎ登板も考えられないことはない。
勝つにしても負けるにしても、大量点差になれば可能性はあるかもしれない。
つまり日本シリーズでの「引退の顔見せ登板」ということだ。

それは個人的にはあってもいいと思うし、期待しないでもない。
しかし、そんなゲーム展開になる試合があるかどうか。
さらに緒方監督のここまでの戦いぶりを見てくれば、それはレアケースと思っておいたほうがよさそうだ。

だから個人的には、きのうが黒田投手の最後のマウンドになってしまったと了解している。

黒田投手が、いつ最後のマウンドになってもいいようにという思いで投げていたように、ファンもいつ彼が引退してしまってもいいつもりで見守るべきだと覚悟していたからだ。

もし万一、つぎの登板の機会があるとすれば、それはもう「めっけもの」として喝采したいし、そのときはきっと目頭を熱くして彼の最期を見送ることになるだろう。

黒田投手のきのうの降板は、球数超えの交代でも、ノックアウトされてのことでもなかった。
「これ以上もう投げられない」という、ぎりぎりのところで自身が決断してのことだった。

「これが最後の1球になってもいい」
日頃からそんな覚悟で全力投球してきた彼にとって、あの85球目はまさにその最後の1球だった。

大谷翔平という希代の打者に、おのれの全身全霊をかけて投げた一投。
それが命取りとなったのだ。「本望」なのではないだろうか。

「まだやれる」
そんな声が、ファンのあいだにはいまだにくすぶっていた。
満身創痍とはいいながら、まだ投げられるんじゃないかと。

きのうの降板は、そんなファンへの最後通牒ともなった。

黒田投手は、刀折れ矢尽きて倒れたのだ。
見事に最後の1球を投げ終えて、彼はマウンドを去った。

その事実が、「黒田博樹の引退」という悲しい現実と引き換えに得た「慰め」でもある。
さらにその1球は、これから日本の球界を、そしてメジャーの野球をも牽引していこうかという大谷投手へのエールの1球ともなったのだから。

黒田は大谷と対戦した3打席で、ツーシームはもちろん、カットボール、フォークボールと、すべての球種を「見せた」という。
そして大谷は、その「軌道や投球の間合い」をバッターボックスで学んでいた。

黒田投手は最後の試合で、球界の宝である大谷投手へと遺産の贈与をしていた。
また、そのことで将来の野球ファンへも大いなるギフトをしたことになる。

ありがとう黒田。
そしてお疲れさま。

野球の愉しさ面白さばかりでなく、人間の素晴らしさを教えてくれた君に……

2016年10月24日月曜日

小窪キャプテンの涙に映ったチーム模様

「打撃コーチがぜひとも使ってほしいというので、使いました」

前の試合で好調だった安部選手に代えて三塁に起用した小窪選手が先制タイムリーを放ったことについて、その意図を聞かれた緒方孝市監督はこう答えた。

それをダッグアウトで聞いていた当の小窪選手が、そのコメントを聞いたと同時に涙顔になって顔を伏せてしまったのをテレビカメラがとらえていた。 
その両脇には、丸選手とだれだったか、小窪選手をはさんで彼の手を高々と上げて殊勲打を讃えていた。

 「ええチームやなぁ」

なぜ関西弁だったのかはわからないが、その光景を目にしたとき、つい口を突いて出ていた。

それは監督と選手たちの間の信頼関係、強い絆の有り様が端的にあらわれたシーンだった。

カメラがこのシーンをとらえたのは偶然ではなかったはずだ。
緒方監督の答えも、小窪キャプテンのリアクションも、中継クルーは確信を持って予想していたのだろう。 

常日頃からカープを取材している彼らは、チームの人間関係もよく知っている。
だからこんな決定的なシーンを逃すことなくとらえられたのだ。

 
小窪キャプテンが二軍で懸命に調整していたときの様子


思えばリーグ優勝を決めたグラウンドでも似たようなシーンを見ていた。

選手たちが抱き合い、喜びあっていた輪のなかで号泣する黒田投手を見つけた緒方監督が、照れながら泣きじゃくる弟をからかうかのように彼を指差して囃し立て、それに呼応して選手たちが黒田投手を囲んで胴上げをはじめたシーンだ。 

あの光景を目撃した瞬間、緒方監督と選手たちとの、うらやましいような関係性が垣間見えたように思った。そして、カープの得体の知れない仲良しこよしぶり、底知れぬ一体感の理由が了解できたように思った。

                     ❋

チーム力だけで優勝を勝ち取ることではない。
そこには運が必要だし、それを呼び込む絶妙のタイミングというものが介在する。

首脳陣の交替、選手の入れ替えと成長ぶり。
そんなもろもろがうまく融合したとき、ペナントレースの頂点に立てる。 

緒方カープの優勝の土台には、優勝できなかった25年の積み重ねがあった。
そして前任の野村謙二郎監督が成し遂げた選手の育成と、優勝への助走としてのAクラス入りがあった。

とはいえ、もしあのまま野村監督が続投していて、今年の優勝はなかっただろう。
いまのこのチームの雰囲気、その一体感から生まれる底知れないチーム力は、やはり緒方監督の手腕によるものだ。 

1975年の初優勝のときをふりかえってみて、それがよくわかった。
キャスティンクグのめぐりあわせとタイミングの綾が運を呼びこみ、運が優勝へとチームを導いてくれる。

もしあのシーズン、ルーツ監督が15試合目以降も指揮をとりつづけていたらカープ初優勝はなかっただろう。
ルーツの強権のもとでチームはバラバラになって、 優勝どころかペナントレースをまともに戦うこともままならなかった。
それは当時、チームの内部にいたメンバーが実感していたことだ。

ルーツはチームの意識改革には成功したが、ことばの問題もあってチームをひとつにまとめることはできなかった。

ところがルーツが去って、若い古葉竹識監督が後任となったことでチームはまとまった。
「負け犬根性」が払拭され地力もついていた選手たちが一丸となって、優勝をねらえるような『赤ヘル軍団』となった。

あのとき監督交替のタイミングがすこしでも遅れていれば、10月15日の優勝ゴールには間に合わなかっただろう。 

それと同じようなことが、今回の優勝にもいえるのではないか。

いまにして思えば、緒方孝市監督へのバトンタッチのタイミングが絶妙だったからこそ、優勝という大輪の花を咲かせることができたのだろう。
育った才能が、適任の指揮官を得て開花したということだ。

野村監督がいま主力となっている若手を育てたことに異存はないだろう。
チームリーダーとしてカープを牽引していた現役時代と同様に、野村監督は率先垂範してチームを育ててきた。その功績は大だ。 

ただ彼がずっと監督をつづけていたとして、カープのいまの戦い方ができたとは思えない。
鬼軍曹が指揮をとるチームの選手たちには、どこか萎縮していたところがあった。

とくに投手陣にはそれが顕著にみてとれた。  緊張感ばかりに支配されたようなベンチで四球を恐れるあまりに四球をだしては手痛い一発をくらう。
そんな光景ばかりが目についた。 
結果として打たれるのだから、彼らからはいつまでも自信を見てとることができなかった。 

ところが緒方監督になって、いや、緒方監督が1年目の失敗から何かを学習したことによってチームは変わった。

手綱を締めるのではなく、緩めることで選手たちが生き生きとその力を発揮しはじめたように見える。 

グラウンドに出す選手たちは、思うがままにプレイさせる。
監督はゲームを締めればいいのだ。 

普段は気のいい兄貴であり、勝負のグラウンドでは信頼できる兄貴。
緒方監督は、きっとそんな存在なのだろう。 

あれは2014年のシーズンオフだった。
「津田恒美の野球殿堂入りをお祝いする会」が広島市内であって、その会場のロビーでカープOBの何人かと雑談していたときのことだ。 

ロビーの一角がひときわ明るく光ったように思った。
そちらに目をやると、白いスーツに身を包んだ緒方孝市氏がさっそうと現れた。

あれをオーラというのだろう、歴戦の勇士たちが集まった会場でも他を圧するほどの存在感があった。 

野村監督が退任し、後任がだれになるかが取りざたされていたころのことだったが、あのとき「つぎは緒方監督だな」と確信した。
先輩諸氏の間をさっそうと歩む彼が、「つぎは私になりました」と無言で語っているように見えたからだ。 

ただそのとき、彼が監督になるという現実は受け止めたものの、はたして彼が監督として適任なのだろうかということに関していえば、正直懐疑的だった。

それは1年目に現実のものとなった。 

しかし緒方監督はひと知れず自省し自戒し、また研究もしていたのだろう。
2年目にして、とてつもなく素晴らしいチームをつくりあげた。 
あのとき感じたオーラの大きさ明るさは、たしかなものだったのだ。

かつてカープを優勝に導いた監督は古葉竹識、阿南準郎、山本浩二の3人だ。
すこしかいかぶりすぎかもしれないが、緒方監督はこの3人の良き特徴を合わせ持った監督像のように映る。 

あくまでも勝負にこだわる厳しさと、選手を思いやる優しさは古葉監督のものでもあった。 

用兵と采配とに現場の責任者であるコーチの意見を聞き入れる柔軟さと、その結果責任は負うよという指揮官の覚悟は阿南監督のスタイルに似ている。

そして、よき兄貴としてチームを引っ張る姿は、第1期の山本監督に重なる。

かつての成功者3人の特性を備えたように見える緒方監督は、もしかしたら球史に燦然と輝くカープ黄金時代を築くことになるかもしれない。

そんな期待を、いま抱きはじめている。

2016年10月23日日曜日

日本シリーズの熱気は海を越えて

「カープ、やっぱ強いわ」

4回裏に鈴木誠也が二塁からの送球をかいくぐって奔馬のごとくホームプレートを滑りぬけて先制してからは、終始そんな感慨が頭に浮かんでいた。

陳腐な表現だなと苦笑しながらも「横綱相撲」という言葉がずっと額に張り付いてはなれなかった。
実際にがっぷり四つに組んでみての手応えから、そんな印象を持ったからだろう。

 北海道 000000100 1
 広 島 01020020X 5
  勝 ジョンソン1勝
  負 大谷
   本塁打 松山1号 エルドレッド1号 レアード1号

ファイターズファンには承服しかねるだろうが、チーム力にはかなりの差があるように思った。(もちろんベタな力の差というんではなくて、現時点でのという但し書き付き)

直近では、ベイスターズと戦ったクライマックスシリーズで、「カープ、やっぱ強いわ」は再認識していた。
しかしそれは同一リーグのペナントレースで大差をつけて退けていたチームが相手。
終盤に苦戦していたとはいえ、もともと「格がちがう」チームだった。
だからそれを再確認したということでもあった。

しかしこのシリーズの相手は、パ・リーグの覇者。それもあのソフトバンク・ホークスを、奇跡的な追い上げで“まくって”しまったチームだ。

その結果が、「カープ、やっぱ強いわ」ということになった。
もちろんジョンソンの好投とか、中田翔の不調とかこの試合にかぎってのファクターはあったが、両チームの戦力差は選手や首脳陣はもちろん、ファンも感じたのではないだろうか。

シリーズはまだはじまったばかり。
いきなり結論めいたことをいっては詮無いことになるが、それが実感だ。

ファイターズの力は、こんなものではないだろうし巻き返しを期待したいが、現時点では4勝1敗でカープという予想をしておきたい。

それにしても、カープの攻撃はねちこい。
打てなければ足でかきまわし、先制すれば一発で突き放し、追い上げられそうになればカウンターパンチの追加点。
エルドレッドのホームランですら霞んでしまうほど、ゲームの雰囲気は終始カープにあった。

戦前は大谷投手の165キロのストレートが真っ赤に燃えるカープ応援団のスタンドを真っ青に凍らせてしまうのではないかという危惧があった。

また、そうなればスタンドの喧噪とは別次元で、ガチの攻防が楽しめるのではないかという期待もあった。

しかし彼のストレートが165キロを計測できなかった、あるいは完投を考えてあえて出さなかった時点で、ゲームはすでにカープの方に傾いていたのだろう。

いまだからいうわけではないが、正直、カープ初優勝時に対戦した阪急ブレーブスの山口高志投手の方が大谷投手よりは体感的には速かった。

とにかく山本浩二、衣笠祥雄をはじめ各バッターがまったく打てないばかりか、バットに当てることすらできなかったのだから。

ボール気味の高めの球をことごとく振りにいって、空しいスイングを繰り返し、きりきり舞いさせられていた。

山口投手の球速は、たぶん150キロあまりだったはずだ。
それでも手も足もでなかった。

彼の指を離れたボールは、そのままミットにおさまってしまう、そんな速さだった。
いや、「指を離れる」なんて悠長な時間さえないように見えた。

昨夜のゲームを観ながら、もしあのシーズンの山口高志がメジャーのマウンドにあがっていたらどうだったろうか、そんな「たられば」を想像してみたりしていた。

大谷投手は、いずれメジャーに挑戦する。
メジャーが手ぐすね引いて待っている投手だ。

カープというチームを物差しにしたとき、その大谷投手より現時点では上に見えた投手だ。
短期限定という条件付きだが、たぶん山口投手は「通用していた」だろう。

そんな彼の姿を、中継の映像に重ねながら想像していた…

                 

ダッグアウトを出て、ひとりの男がマウンドに向かっている。
170センチたらずの、“ちびっこ”だ。
大男の世界でもあるメジャーでは、異形としかいいようがない。

その男は寿司屋のおやじがトロでもにぎるように、てきぱきと投球練習をすませた。
そしてプレイボールの声がかかると、ちいさなからだをさらな屈めてキャッチャーのサインをのぞきことんだ。
といっても、そんなものはかったちだけのことだ。
どんなサインでも球種はすべてストレート。それはバッテリー間の約束事だった。

ツーアウトでランナー一、三塁。点差は1点。塁上のランナーが帰れば逆転の場面だ。

しかし山口はまったくランナーを気にするそぶりも見せずに初球を投げ込んだ。
分厚い胸板が反り返って、獣じみた膂力がむき出しになった。

高めのストレート。
白球は軌道を描くことなく、点のままキャッチャーミットにおさまった。
バッターは仰向いて窮屈そうにスイングしたが、ボールはすでにポイントを通過している。

その空しいスイングの間に、一塁ランナーは二塁を盗んだ。
しかしその盗塁が、まったく空しいものであることをランナー自身も心得ている。

「ヤツも打てやしないさ」
それを山口の投球を見た瞬間、了解してしまったからだ。

2球目を、山口が投げた。
また同じコース、同じ高さだ。

バッターも同じスイングをした。
ファッキンな高めのクソボールだ。
それでも、ついバットが出てしまう。

「わかっちゃいるけど」というやつだ。
バッターの本能というのだろう。
打てないことはわかっていながら、打ちたくなる球なのだ。

リリースの瞬間は、ストライクゾーンに「落ちてくる」るはずだった。
どんなに速いストレートも実際には、落下しながら来るからだ。

「ところがヤマグチのストレートときたら、そのまま落ちずに来るんだぜ」

口づてに聞いたメジャーリーガーたちの評判を、苦い唾液が口腔に広がったようにようにバッターも思い出していた。

これでノーボール、ツーストライク。
配球も読みもあったもんじゃない。

バッターは瞬く間に追い込まれた。
彼は乾いた口の中で、苦い唾液を飲み込んだ。

かつて経験したことのない緊張が、からだを走った。
たかがグラウンドでのゲームで、息の根を止められてしまう。
そんな絶望感といってもよかった。

もうすでに勝負はついていた。

「ど真ん中にストライクを取りに行っても、ヤツは空振りするだろうよ」

二塁ランナーの頭の中に「帰塁」のことなどこれっぽっちもなかった。ひとりの観客としてマウンドを見つめていた。

「ヒットマンがヤツをどのように始末するか、もう見届けるしかないじゃないか」

マウンドのヤマグチが、振りかぶった。
そして、テキパキとモーションを運んで、あの分厚い胸板を反らした。

いよいよ仕留める。撃鉄に指をかけたのだ。
そして、「ズギューン!」

ヤツがボールをヒッチした瞬間、たしかに硝煙の匂いがしたようだった。
「きっとヤマグチの指が摩擦で牛皮を焼いたんだろうさ」

白球がミットに消えて、それでおしまい。
その間に、バッターが立っていた、それだけのことさ。

山口は何事もなかったかのようにマウンドを降りて、キャッチャーと握手した。
そしてようやく表情をゆるめた。

「そのとき、ようやくヤツがこどもだったってことを思い出したよ。たった5.5フィートのガキだぜ。そいつがいまメジャーを席巻してるんだ」

あきれ顔で二塁からダッグアウトにもどっていった二塁ランナーは、バットを放り投げてヤマグチを振り返ったバッターの肩をたたきながらつぶやいた。

「いつか機会があったら、お前のぶんのサインももらっておいてやるぜ!」

                   

これはあくまでもたらればの空想だが、山口高志投手に託して夢想したこんなシーンを、いつか大谷投手はメジャーのマウンドで見せてくれるはずだ。
メジャーの選手にもひけをとらない、立派な体格の偉丈夫として。

まだまだ進化するであろう彼が、メジャーでどんなピッチャー像を見せてくれるのか、今から楽しみだ。



2016年10月22日土曜日

165キロの説得力か真っ赤なスタンドの大声援か

広島の朝は雨模様。

日本シリーズ第1戦の開幕があやぶまれるが、天気予報では曇り。
たぶん試合はできるのだろうが、カープにとっては25年ぶりのシリーズ。選手にはいい条件でプレイしてほしいし、ファンにはいい環境で観てほしいものだ。

この初戦の先発投手はカープがジョンソン、ファイターズは大谷と発表されている。
ファイターズの大谷は鉄板で、このことに異をとなえるファンはほとんどいないと思うが、カープの投手起用にはさまざまな意見があったようだ。

それは大谷は「まちがいなく勝つ」という前提から成り立っている。
したがってファイターズが第1戦に彼をもってくることに疑問はわかない。

いっぽうのカープ側からみると、「もしジョンソンで負けたら?」という仮定が頭をもたげてしまうというわけだ。

『もっとも勝てる投手』で初戦を落として、つぎの試合に負ければシリーズの流れは一気にファイターズに傾いてしまう。
しかしジョンソンを第2戦目にもってくれば、初戦に負けてもタイブレークに持ち込める可能性は高い。

そうなれば大谷の勝ち星を、インパクトのある勝利を“チャラ”にできる。
そこから仕切り直して、シリーズを戦うべきではないか、まあそういう発想だ。

では第1戦にはだれを持ってくるべきか?

そこで名前があがっていたのが、黒田博樹だ。

「第1戦は落としてもいい」という発想だが、もちろん積極的に落としにいくというわけではない。
「勝負にはいく」わけだから、ここで勝てれば大きなアドバンテージをえるコトになる。
第2戦をジョンソンで勝てる可能性は高いわけだから、そうなれば以後の展開がまったくちがってくるというわけだ。

シリーズを戦うなかで、その7戦をどうとらえるか。
先手必勝で取りに行くか、それとも3つは落とせるという采配をするか、いつも議論になるところだが、今回は前記案に「なるほど」と1票を入れた。

その理由は、興行的な面からではなく戦略的な意味から黒田が地元のズムスタでファンに最後のあいさつ登板ができるということだ。

しかしそれ以上に、第1戦黒田先発をおしたかったのは彼の背負っているストーリーだ。
今シーズンを最後に引退することになっている彼が、シリーズの頭に登板するとなればズムスタのスタンドはいつも以上に異様な雰囲気となるだろう。

緒方監督もいっていたが、このスタンドの声援は大きなアドバンテージだ。
このパワーをさらに倍加させる効果があっただろう。

野球には試合の流れを一変させるプレイというものがある。
たとえばエルドレッドのホームラン。
あるいは菊池の超絶なファインプレイなどもそうだろう。

たがそのプレイはゲームの流れのなかでしか生まれない。
いっぽうの大谷は、第1球目から、いや投球練習の初球から165キロのストレートを投げることでそれができるのだ。
スコアボードにこれが表示されたとき、真っ赤なスタンドは真っ青になって凍り付いてしまうだろう。
スタンドが飲み込まれてしまう可能性大だ。

そのとき先発のマウンドが黒田であれば、試合開始早々に、大谷がマウンドにあがる前にカープサイドが異様な声援でファイターズを圧倒できるではないか。
そうなればゲームを序盤から支配できる可能性は高い、いや高かった。

残念ながら“黒田ケース”としてのそんな場面は観ることがかなわなくなった。
とはいえ、楽しみに変わりはない。

165キロのストレートが真っ赤なスタンドを沈黙させるのか。
それともスタンドの大声援が大谷の戦意をうち砕いてしまうのか。

その攻防がいまから楽しみだ。



2016年10月21日金曜日

最後のトライにエールを!

きのう10月20日。
スポーツ界の一大イベントともいえるプロ野球ドラフト会議の当日に、ラグビー界で一時代を築いた平尾誠二氏が死去した。

奇しくもこの日、1983年のウェールズ遠征でチームメイトだったメンバーが大阪に集まってもいたと知ったとき、「平尾は旅立ちの日を、みずから選んだのではないか」そんなことが頭をよぎった。

プロ野球の祭典であるオールスターゲームに合わせたかのように息を引き取り、その訃報でファンにお別れを告げて逝ってしまった津田恒美のように。

そういえば、きのうは10月20日。津田が逝去したのは1993年7月の20日。同じ月命日だ。
また忘れえぬ日が、ひとつふえてしまった。

闘病生活を知らなかったから、「平尾誠二死去」の訃報はあまりにも唐突だった。
現役時代そのままに華麗なステップを踏んで、あっという間に彼は生死のラインの向こうに走り去ってしまっていた。

アスリートでも屈強なラガーマンたち。
そのなかでも彼は図抜けた存在だった。

『ミスター・ラグビー』
それが平尾の代名詞だった。

その彼が、もっとも病や死からは遠いと思われた肉体が、あっけなく逝ってしまった。

享年53才。
「あまりにも早すぎる死」

3.11以降すっかり珍しくなくなってしまったこんな安易な表現で、彼の不在は語ったことにはなりそうもない。
ファンや関係者にとって彼の死は「ありえない死」であり、「あってはならない死」だった。

しかし、平尾は人生の決着をつける最後のトライを決めてしまった。
突然に軌道を変えてしまった楕円のボールを追って…。

そのトライにも、われわれはやはり拍手と喝采を贈るべきなのだろう。

「素晴らしいゲーム、そして人生をありがとう!」

君の華麗なステップを忘れない。




2016年10月20日木曜日

ネットで見せた“羽生マジック”

ふたたび将棋界の話題です。

三浦弘之九段のコンピュータソフト不正使用問題について、羽生善治三冠が奥さんのツイッターからコメントを発するという奇手を放った。

これも「羽生マジック」といってもいいかもしれない。(笑


ネットのニュースにれば、週刊文春の取材で「三浦九段が灰色に近いと発言した」とコメントしたのが、記事には「連盟の島朗九段に“限りなく黒に近い灰色”とメールを送った」と書かれたとして、ツイッターで弁明しているとあった。


さっそくウラをとるためにツイッターを確認したが、たしかに羽生三冠本人がコメントを残していた。


「灰色に近い」と「限りなく黒に近い灰色」では、将棋にたとえれば「優勢」と「勝勢」ほどにニュアンスはちがう。


まあこの程度の誤認と脚色は週刊誌では許容範囲、日常茶飯事のことで、筆がすべったほどの自覚もないだろうが、「優勢といった」のを「勝勢と伝えた」ように書かれたんでは心外だろう。

そのことであらぬ誤解を招いては、と危機感を持つのは当然だ。

それで羽生三冠は「妻のツイッター」という非常発信ツールで、オフィシャルに見解を発表したわけだが、ことの本心はほかにあったようだ。


記事の見出しにもあったように、「疑わしきは罰せず」。グレーだろうと、限りなく黒に近いグレーだろう、真っ黒でないかぎりは罰するべきではない。それが自分の見解だということをあらためて伝えたかったのだろう。


つまりは丸山忠久九段と同様、今回の連盟がとった「年内の対局禁止」の措置を間接的にではあるが否定しているようなのだ。


なんでもきょうの夕方、ネット上でこの事件を検証した文春の記事が配信されるらしい。その前のタイミングで、このコメントを発したということは、記事では「総意」として三浦九段への処置が決められたということになっていて、そのことに対する牽制の意味もあったのかもしれない。


どっちにしても羽生三冠ほどの重鎮が“マジック”を使って意志を表明せざるをえない状況、連盟の意思の決定と結果が不透明なことなどなど、どうもきな臭さが漂ってきて仕方がない。


ここであらためて今回の事件をざっと時系列にそって整理してみると下記のようになる。


10月7日

過去の対局のコンピータとの一致率などを検証した結果、まちがいなく不正をしていると確信した渡辺竜王が島朗理事に事情を説明

10月10日

渡辺竜王、島朗九段のほか将棋連盟会長の谷川浩司九段、羽生三冠、佐藤天彦名人らのトップ棋士が7人集まって極秘に会合が開かれる
その席で渡辺竜王から説明を受けた出席者たちはほぼ全員がグレーの印象を持ち、シロと認識した棋士はいなかったという

10月11日

将棋連盟の常務会が三浦九段を招んでヒアリング
三浦九段は疑惑を完全否定したものの、「疑惑をもたれたまま竜王戦には出場できない」と応酬これが言質にとられ、三浦九段は連盟側から翌日までに不出場の書面を出すように要請される

10月12日

三浦九段が書面を提出せず約束”を履行しなかったため、連盟はベナルティーとして年内の出場停止処分を通達

ざっとこんな流れだったようだ。


ここで違和感を抱いたのが、申告したのが問題となった竜王戦のタイトル保持者である渡辺竜王だったことだ。


もし不正を働かれれば、タイトルを奪取されかねない。そんな危機感があったのかもしれないが、すでに金属探知機を導入しての携帯の持ち込み禁止など、対策はとられていたようだから、それはたぶん杞憂というものだ。

ぎゃくに三浦九段の挑戦をいやがって、今回の挙に出たと邪推されかねないタイミングだった

たぶん棋界の頂点にある棋士として将棋界の将来を憂えてのことだったのだろうが、今回の対処の仕方がベストであったかどうかは疑わしい。


三浦九段の不正使用疑惑は夏頃からあったというし、それがなぜこのタイミングだったのかという疑問は、容易に氷解するものではない。


渡辺竜王はその一週間前、三浦九段と順位戦を戦って負けていた。この対局でも三浦九段が不正を働いたということなのだろうが、それ以前の順位戦の対局では、夏以降だけみれば佐藤康光九段、稲葉陽八段に連敗している。


「不正をしていること」と「不正によって勝っている」というのは同じではないが、動機から考えれば辻褄があわない。


このような状況をみても、やはりグレーと判断するしかないし、羽生三冠が主張しているように「疑わしきは罰せず」が常道だろう。


渡辺竜王は文春の記事のなかで、このタイミングで申告した理由をつぎのように語っている。


「竜王戦が始まってから疑惑が公になれば、シリーズは中断される可能性が高いと考えました。それだけでなく、タイトル戦を開催する各新聞社が“不正”を理由にスポンサー料の引き下げや、タイトル戦の中止を決めたら連盟自体の存続さえも危うくなると思ったのです。そんななかで最悪のシナリオは『疑惑を知りながら隠していたという事が発覚する事だ』と判断しました」


しかし、騒動となったら「シリーズが中断されるかもしれない」という心配はさておき、「タイトル料が引き下げられる可能性がある」とまで竜王が踏み込んで語っているところで、おやっと
首を傾げてしまった。

そのような裁量権は、もっぱら主宰者側にあるわけで、連盟側の人間が強く意識するようなことではないと思うのだ。そこにどうしても「引き下げられかねませんよ」という讀賣新聞側の悪魔のささやきが聞えてしまうのだ。

讀賣新聞といえば、ことし讀賣ジャイアンツとその周辺で賭博事件問題が炎上した。シーズンの開幕前後は、世間はこの話題でもちきりとなった。そして今回は、主催する竜王戦を舞台とした不正事件の騒動だ。


かつては身内の騒動とかスキャンダルを見事にもみ消し封印してきた天下の讀賣が、あまりに脇が甘いというか、危機管理能力がなさ過ぎるではないか。

あえてこれらを“事件化”しているとしか思えないのだ。

偶然といってしまえばそれまでだが、どうも讀賣新聞がみずからの尾をくらうように、身内の不祥事から騒動を演出しているような気がしてならないのだ。


それとも連盟内に騒動を持ち込み派閥争いに乗じて利権でも漁ろうとしているのか……

たぶん今回の不祥事で迷惑をかけられたことになる連盟には“恩を売った”ことになるだろう。発言力だって増すはずだ。


タイトル最高峰の権威を金で買った讀賣だ。

それくらいのマジックは見せてくれてもおかしくはない。


2016年10月19日水曜日

“黒田博樹”からの引退

黒田博樹投手の引退表明が引き起こした騒動の波紋は広がるばかりだ。

メディアは『黒田引退』の情報の洪水。ネットをザッピングすれば賞讃と感動、そして羨望のコメントであふれかえっている。

それにしても、ここまで見事な引き際を見せてくれたプロ野球選手は珍しい。
ファンの反応も、かれへの感謝とともに「かっこいい」が大半をしめているようだ。

もちろんメジャーへの門戸を切り開いてくれた先駆者でもある野茂英雄投手のように、可能性がある限り球団からのオファーを待ち、何度も何度もマイナーからチャレンジし、最後は燃え尽きたような野球人生も悪くはない。
たぶん彼の生き様に惹かれ勇気をもらったファンは、数えきれないほどいたことだろう。

しかし、おのれの人生に重ねて見たとき、できうれば黒田投手のようなスマートな引き際を願うのが人情というものだ。

今回の黒田博樹の引退表明に、多くのファンが「かっこよさ」を見ているのは自然なことだろう。

かのスーパースター長嶋茂雄にしてからが、いやいやカープのレジェンドである山本浩二、衣笠祥雄の両名しにしたって、本人は納得してのことだったとはいえ、ボロボロになったおのれの肉体にチームの敗北をも背負うようなかたちで引退することになった。

チームが優勝したシーズンを最後に、きれいなからだのまま、いやもとい、輝かしいイメージのままグラウンドを去れるなんてそうそうあるもんじゃない。

いままさに「引退」とか「転身」とかを考えている向きには、『黒田博樹のかっこいい身の振り方』にシビれ、背中を押されるように新天地へと羽ばたいて行ったり、引退を決断したり、うっかりもふくめてかなり出てきそうな気配だ。

そういうおれは、とふっと振り返れば、もともと立場もポジションも持たないフリーランス。引く身も去る場もなく、すっかりタイミングを失してしまった老惨が、所在なく大あくびしながら鼻くそをほじっているようなていたらく。

いつまでもできると踏んだ物書き家業。ひっくりかえせば、いつまでもけじめつけ難いことの同義であったかと、しみじみと感慨にふけるばかり。

「黒田よ、君も罪なことをしてくれたものだ」と、賞讃に苦言をまぜて贈りたい心境ではある。

という冗談はさておき、ファンへの最後のお別れということで、日本シリーズ第2戦の地元ズムスタでの登板が濃厚となった。
引退表明は、そのことの告知でもあった。

「黒田よ、なんど俺を泣かせればいいんだ」

涙腺のゆるいファンにも、黒田は決断のたびにさんざん罪なことをしてきた。

だがそれも、最後の最後になる日がやってくる。

どんなかたちであれ、彼がマウンドを去るそのとき、こんどはわれわれの方が“黒田博樹”を引退しなくてはならない。

ずっと黒田博樹に背負わせて来た覚悟というものを、こんどはファンが問われているのだ。


2016年10月18日火曜日

黒田が最後に投げた見事なバックドア

黒田博樹投手が今期限りでの引退を表明した。

ファンも関係者もうすうす感じていたことだろうが、とうとうそのときがやってきた。

前の投稿に書いた『情熱大陸』の番組の会食シーンのなかで「新井はボロボロになるまでやらんといかんやろ」と、屈託なく笑いながらいじっていたシーンを観たとき、ああもう決心したんだな、というのははっきりと伝わってきた。

もうちょっとやってほしいという感情論ではなく、冷徹に考えてみれば今シーズンを逃して、彼がスマートにやめられるチャンスはないだろう。

ぎりぎりマウンドに上がれる限界で投げて来て、今シーズンにようやく望みに望んだ「優勝」という花道が用意された。
ファンに見送られながらこの花道を歩んでいかないほうがおかしい。

これまで人一倍優勝をのぞみながら、ついにメジャーでもそれを経験できなかった。
その彼がもっとも愛するチーム、カープにもどってペナントを手にすることができた。
いや、ファンに優勝という素晴らしいプレゼントをもたらしてくれた。

もうこれ以上、彼にがんばってくれとはだれもいえないだろ。

フリーエージェントの権利を取得した2006年オフに、ファンからの強い慰留の声を意気に感じて彼はカープに残留した。

そして翌年には、「メジャーへの挑戦もしかたがない」という物わかりのいいファンと、強く慰留はしなかった球団の思惑にじりじり追い出されるようにカープを去り、メジャーリーグに挑戦することになった。

そしてメジャーで毎年のようにオフには引退を考えるようになったとき、カープから例年とはちがう“強い要請”があってカープに復帰することになった。

そこまでの彼の選択には、いつも他者への思い、気配りががあった。
いつも優先するのはファンのため、カープのためだった。

その彼が、今回はじめて“自分のわがまま”を貫いた。
「引退は自分で決めた」という。

「よかった」
素直にそう思う。
そして「お疲れさま。そして、ありがとう」と。

                     ✽

それにしても、彼は選択のたびに遠回りしていたように見えた。

「不器用な人生」

そんな言葉が似合いそうな野球人生だった。

しかし、いまあらためて彼の足跡を概観すれば、そこには大団円の大輪の花が咲いている。
その軌跡は見事としかいいようがない。

メジャーからの復帰の報を耳にしたとき、いてもたってもいられず彼が生まれ育った大阪の住之江に向かっていた。

そして彼の足跡を訪ね歩いていた至福の時間に、ふと立ち寄った喫茶店の窓辺で目にした一輪の花…。

あの可憐な花が、いつの間にか大輪のひまわりになっていた。

そんなイメージが、いま明瞭な映像となって目の前に広がっている。








“賞の親玉”に一喜一憂するひとびと

ボブ・ディランと直接コンタクトがとれず困惑していたノーベル賞事務局が、ついに連絡をあきらめた。
「あとは授賞式に彼があらわれてくれることを願うだけだ」というコメントが、さきごろ公表されたようだ。

ノーベル文学賞の授賞が決まってすぐに開催されたライブでも、ディランはノーベル賞の「ノ」の字も語らずにステージを降りたと伝えられている。

そんな経緯もふくめて、「本人のアクションがまったくない」というリアクションから、彼がノーベル賞を拒否するのではないかという憶測を生んでいる。
ぼく自身も、期待込みでぼんやりとそんなことを考えていた。

しかし、そんな推測に自分自身が疑問を持ちはじめた。
いまでは想像したくないイメージが脳裏に浮かぶようにもなっている。

それは、彼がノーベル賞の授賞式にサプライズ登場して、万来の拍手を浴びながら「やあ、まだいたのかい?」なんてぶっきらぼうに挨拶をしてから、ぞんざいにメダルを受け取ってステージを去って行く、そんな映像だ。

いかにもありそうな、ディランらしいやり方だと、いまでは「あるある」と得心すらしはじめている。

これならノーベル賞の権威にひれ伏すことなく、ファンの思いもさほど傷つけることなく、かつ劇的な効果をもって授賞することができそうだ。

ディランのいまの沈黙が、「ノーベル賞への拒否反応」というよりも、「いかに効果的に授賞するか?」という演出上の目的からなされていると考えられなくもないだろう。

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ディランがもっとも時代を体現していたのは1960年代の終わりから70年代の初頭だったと思うが、このころ高校生だったぼくがオールナイトニッポンを聴いていたときのことだ。

たぶんリクエストハガキ大好きの広島県人のリスナーからのものだったのだろう、「平和イベントにボブ・ディランを招んだらどうか、彼ならボランティアで来てくれるだろう」という「お葉書」だった。

そのときのパーソナリティが亀ちゃんだったか湯川れい子女史だったか、だれだったかは失念したが、その提案を彼か彼女はにべもなく否定した。

「ディランがノーギャラで来るわけがない。そんな考えは甘いよ」

わけ知り顔に、あるいはこう笑しながらだったか、パーソナリティーはいい放った。

それはかつてパーソナリティー自身が直接か間接か、同じような試みをして一蹴されたことがあるかのような、怒りとか自慢とかがいりまじったような複雑な口ぶりでもあった。

このころ広島には外タレのビッグネームがたてつづけにやって来ていた。
ぼくが経験しただけでもレッド・ツェッペリン、ジェスロ・タル、ヨーコ・オノなどがいる。

そのどれもが小さなホールでのライブで、アーチストのギャラを度外視してのライブだった。

「広島で演奏することでヒロシマ祈りを捧げたい」

当のアーチストたちが、それを望んで来ていたからだ。

そんな脈絡のなかでの、リスナーのお葉書だったのだろう。

「平和」とか「ヒロシマ」が、すべを解決してくれる。
よくも悪しくも、いまだに根強い神話のようなものに浮かされてのことだったのだろう。

そのころ心身ともに童貞だった私は、そのコメントに愕然としたのを憶えている。
ロックにはまっていて、フォークを軽くみていたからディランにさほど興味があったわけではなかったが、「反権威」とか「反コマーシャリズム」とか、ディランに対する勝手なイメージだけは膨らませていたからだ。

だから、彼もがその魔の手から自由ではないんだといわれたようで、目の前に地獄絵を突きつけられた思いがしたものだった。

ディランがメジャーデビューしてから半世紀以上になる。
決して短いとはいえない彼の活動、言動から検証しても、彼の実像はあいいなままのようだ。

その原因は、どんどん神格化され肥大化していくディラン像と、彼の実態とがどんどん乖離して行って、本人以外はだれもがその振幅のなかで揺すられつづけてきたことによるのだろう。

今回もまたノーベル賞が、その振り子を大きく揺らすことになった。
もらうことが当たり前とされる賞を、彼がもらうかもらわないかで全人格を評価しようと、世界が手ぐすね引いて待ってる。

もちろん彼がノーベル賞を授賞しようが拒否しようが、それは彼自身の判断で、余人がどうのこうのいうのはお門違い、大きなお世話だ。

とはいえ、「ノーベル賞を拒否した人物」に拍手喝采を送ってみたいという思いは強い。
そんな野次馬根性から、今回のディラン騒動を傍観しているのはぼくだけではないだろう。


上の写真は1995年に拙著「『時代の気分』はもう二日酔い。」で直川賞をいただいたときの「本の雑誌」の記事。
自分で勝手に賞を創設して、本人が受賞したということで世間では顰蹙を買い、また笑い者にもなったものだったが…

ちなみに下記の作品では「芥木賞」も受賞しています。(笑







2016年10月17日月曜日

過熱する「カープ優勝報道」のほどよい情熱

昨日オンエアされた情熱大陸「プロ野球球団・広島東洋カープ」を、愉しく鑑賞した。

あれよあれよという間にペナントレースを制し、クライマックスシリーズも圧倒的な強さでベイスターズを退けたカープの勢いに引っ張られるように企画され、駆け足で制作したのが感じられた内容だったものの、その『脱力した情熱』も悪くなかった。

リーグ優勝を決めた直後からカメラを回しはじめ、まだクライマックスシリーズ真っ最中に撮影していたわけで、取材できたのは黒田博樹と新井貴浩の“主役”と、“神っている”鈴木誠也の3人だけ。その上制作時間も限られていたのだから、流した番組にならざるをえなかったのは仕方がない。

それでも物足りなさは感じなかったし、グラウンドとはちがうなごやかな表情の選手たちを好感を持って観ることができた。
もちろんファンとしてのひいき目もあるのだろうが、タイムリーな企画を実現してくれたスタッフの情熱と、ピックアップされた選手たちの人間性を引き出した手だれには感心するばかりだった。

優勝を手にできた興奮と、「いまだに実感できない」という黒田の不思議な戸惑い…。
そして日本シリーズに向けての意気込みと緊張感とが、ライブの皮膚感覚で伝わってきたのはうれしかった。

さらにいえば、優勝決定へのカウントダウンからクライマックスシリーズへと、ずっとつづいてきたスタンドの喧噪から離れて、ようやく「おだやかな空間のカープたち」に触れることができたのも収穫だった。

石原捕手、小窪キャプテンが加わってのお約束の『会食シーン』とか、鈴木誠也選手を町中に引っぱりだしたり寮に侵入してのスナップ撮影とか、“お茶を濁した”ような構成だったものの、その苦肉の策が却って新鮮なカットとなっていて、興味深い仕上がりになっていた。

それにしても、どの選手のどのシーンをとってもチームのアットホームでフレンドリーな雰囲気ばかりが伝わって来た。

「このカープの好感度は、いったいどこから来るのだろうか…?」

あらためてそんなことを考えさせられた。

意識機にチームを引っ張っている黒田と新井の両ベテランの存在が大きいことは、いうまでもない。

と同時に、「あの選手の不在もあるのではないか…」そんなことが頭をよぎって、つい苦笑してしまった。

「もし、いまカープのベンチに彼がいたらどうだっただろうか?」

彼がひとり求道者のようにバットを見つめたり、首をひねっているベンチには、なんともいえない緊張感がみなぎっていたはずだ。

団結力をチーム力に変えて快進撃してきたような今年のカープ。
その団結力が強まらなかったとしたら、優勝はなかったかもしれない…

もちろん、そのことで彼を非難するつもりはない。
チームの優勝とはまたちがう、彼の天才をわれわれは見ることができたわけだし、そのときのカープには別の魅力があったのだから。

つい先きごろノーベル文学賞が決まったボブ・ディランの歌にもあるように「時代は変わる」。
そして、めぐりめぐっている。

黒田博樹の引退が現実のものとなる日は、もう間近に迫っている。
最悪、このシーズン限りでという可能性もなくはない。

いずれ新井貴浩も、それにつづくことだろう。
彼らが不在となる日が、遠からずやってくる。

「そのとき、はたしてカープがどんなチームになっているか?」

それはまた、そのときの楽しみでもある。





2016年10月16日日曜日

カープ・ベイス両チームに感謝だ

期待した通りの好ゲーム。
カープとベイスターズの選手たち、そして首脳陣にはありがとうをいいたい。

初回にカープが6点を先制したのは見事だったし、ベイスターズにすれば致命的とも思える局面となってしまったが、そこから折れることなくしのぎにしのぎ巻き返していったのには感動したし頭がさがる思いだった。

まさに前の投稿で紹介した羽生対山﨑戦の将棋のような展開。プロ野球名勝負のひとつとして、長く語られることになるだろう。

 横浜 022002100 7
 広島 60100100X 8
  勝 岡田1勝
  負 今永1敗
  本塁打 エルドレッド1号 梶谷1号 ロペス1号

野球で最も面白いといわれる8対3。しかも最後の最後の一発逆転の場面で打撃二冠の筒香を迎えるという劇的な場面が用意されたのには、巡り合わせというか、野球の神様の粋というか、そんなものを改めて感じざるをえなかった。

それにしてもベイスターズはファーストステージでジャイアンツを破ったところで、気がつかないところで気の緩みがあったのだろか。
それとも意気込みが空回りしてしまったのか、ファイナルになって「入りに失敗」してしまったように見えたのは残念だった。

本来の調子が戻ったときには、シリーズが終わってしまっていた、そんな印象だったことだろう。
この悔しさを抱きしめて、ぜひ来シーズンの糧としてもらいたいものだ。


それにしても25年ぶりにカープが日本シリーズへの出場を決めたのが、初優勝時と同じく10月15日とは。

素晴らしいゲームと記念すべき日。
これもまた「カープV7 2016.10.15」として記録されることになるだろう。




2016年10月15日土曜日

名シリーズへの期待

ファイナルステージ22イニング目にして初めて得点したベイスターズが、つぎの回にも負傷の梶谷のタイムリーで1点加点して3得点。先発の井納投手の好投を中継ぎ抑えが引き継いで、そのまま完封勝利してカープに一矢を報いた。

  横浜 000210000 3
  広島 000000000 0  
  勝 井納1勝   負 黒田1敗   
  本塁打 エリアン1号 

前の試合まで、スタンドの「真っ赤激」に圧倒されてもはや戦意喪失かと思っていたが、陰極まって陽になるのたとえどおり、開き直ったベイスターズが好守好打を連発しての快勝だった。 

その発奮に火を点けたのは、いうまでもなく4回表に飛び出したエリアンのツーランホームランだが、前述した梶谷選手のタイムリーヒットとライトへの飛球を倒れこみながら好捕したプレイ、そしてフェンスに激突しながらフライを捕球した石川選手のガッツプレイだった。 

つぎつぎに飛び出すベイスターズのガッツプレイを見ながら、ある将棋の棋戦を思い出していた。 

それはつい先ごろ行われた叡王戦の羽生善治三冠と山﨑隆之八段との対局。

序盤に山﨑八段が巧妙な差回しを見せて優勢に差回していた。
ところが羽生三冠のマジックが出て、山﨑陣の守りの金を狙った桂打ち一手で形勢をひっくり返してしまった。 

そこからは羽生が一気に優勢から勝勢へと持って行って、あとは山﨑八段がいつ投了するかという局面になった。 
しかしそこから山﨑八段が驚異的な粘りを見せた。
秒読みになってからも窮地を脱しながら数十手指し継いだのだった。

はじめは往生際が悪く「ミットもない」感もあった。 それがいつからか手に汗を握るようになり、奇手好手の連発に心の中でどよめきながら見つめている自分に気づいた。 

そんな感覚が一手ごとに強くなって行って、最後には驚異的な粘りに感動し目頭が熱くなっていた。
羽生マジックを何度も目撃して「驚き」は再々経験しているが、将棋を観戦しながら初めて目頭が熱くなるのを覚えた。 

残念ながら粘りも及ばず山﨑八段は羽生に敗れた。
粘ってはいたが、どうしても最後まで勝ちは見えなかった。
羽生が勝勢のまま差し切った1局ではあった。 

それでも、あの1局は歴史に残る名棋譜となった。
勝ち負けの結果からくる喜びと落胆に至るまでのプロセスで、われわれは奇跡のような感動と出会うこともあるのだ。 

先の将棋に例えれば、ベイスターズはカープにかけられた初めての王手をしのいだにすぎない。
つぎの王手で詰まされる可能性はなくもない。 

しかし、あの将棋のように土壇場までしのぎにしのいで見せることだってできるかもしれない。
もちろん大逆転の可能性だって、なくはないのだ。 

現時点で大逆転が現実となる可能性は限りなく小さい。
星勘定とチームの力からいえば、かなり難しいことは誰もが認めることだろう。 

しかし、勝敗が決するまでの戦いぶりには期待してもいいはずだ ベイスターズファンはもちろんそれを望んでいるだろうし、カープファンだって相手を讃えながらの勝利をかみしめるに越したことはない。 今夜もまたベイスターズが素晴らしい野球を見せてくれることを期待したい。

2016年10月14日金曜日

ボブ・ディランにノーベル賞?

ボブ・ディランにノーベル文学賞。

 ネットでこのニュースを目にしたとき、

 「イタズラ投稿か?」

とはさすがに思わなかったが、正直驚いた。

 あったり前だ。 シンガーがはじめて受賞したのだ、この快挙を予想したものは関係者以外はまずいなかっただろう。 

小学6年生の時にラジオから流れてきたビートルズの「ロックンロールミュージック」に勃起するという随喜に浴してからというもの、ずっと無自覚に洋楽に親しんできてしまった私だが、真正面から彼の歌に対峙した時期はない。

 彼のLPはもちろん、CDも音質の悪いヨーロッパでのライブ盤が1枚あるだけた。 
「音楽は流して聞く」という「ながらリスナー」だった私にとって、歌詞が勝負のダミ声のディランはさほど魅力的ではなかったからだ。

ディランがエレキを採り入れてザ・バンドをバックに従えて演奏をはじめたとき、フォークファンからは非難の嵐を浴びたが、私はロックの側から歓迎したということもない。 

どちらかといえば「ザ・バンドがかつてバックをつとめていた偉大なミュージシャン」というポジショニング。
私にとってディランは、そんなところだった。 

たまにディランの才能と偉大を感じたのは、そのザ・バンドをはじめバーズなど様々なアーチストによってカバーされた彼の曲を耳にしたときに限られていた。

彼の詩の訴えるメッセージが聞きやすいメロディーに編曲されて演奏されると、不思議な魔力のようなものが生まれ、魂の郷愁に誘われたような感覚に見舞われたものだ。

   

「アメリカ伝統音楽にのせて新しい詩の表現を創造した」

 これがディランの受賞理由だという。 
わかったようなわからないような理由だが、彼の才能がそれに値するかどうかと言えばそれを否定するつもりもないし、賞賛したいとも思う。

 ただディランがノーベル文学賞を受けるかどうかということでいえば、否定したい気持ちもある。

彼のメッセージの切っ先の鋭さまで受け止めてみたことはないが、そのナイフはノーベル賞的なものに向けられていたはずだからだ。 

いまのところノーベル賞の関係者は、今回の受賞の件でディラン本人と連絡が取れていないらしい。
この決定直後にあったライブでも、彼はいっさいコメントをしなかったともいう。
 彼の知人の中にはディランが賞を返上するのではないかといっている者すらいる。

そのディランとてレコード会社とかプロモーターとか、巨大で強固な商業システムにからめとられているわけで、さすがに拒否まではできないだろうが、式には列席しないとか、何らかの抵抗の姿勢は示しそうな気がしないでもない。




サクサクと日本シリーズに王手



カープがCSファイナルに2連勝してサクサクと日本シリーズに王手をかけた明日、それを報じる中国新聞の第1面に、センエツながら拙著「初優勝 1975.10.15 」の広告が掲載されていた。

過日、版元からその旨連絡はいただいていたが、きょうのこの紙面ということは知らなかった。
サクサクと、うれしいく感謝したい。

右隣には黒田博樹投手の名著「決断」、そして左には広島東洋カープ編の「ぶちええ言葉」というレイアウト。
マスは4つの四天王ということで「ぶちええ気持ち」じゃ。

キャッチフレーズが

「カープ本を読んでカープを応援しよう!」


こんなことなら、その「!」の顔を立てて「マツダ商店(広島東洋カープ)はなぜ赤字にならないのか?」の広告を掲載して「?」を並べてみたかったと、微笑しながらつまらないことまで考えてしまった。

さっきパソコンに向かうまでは、昨夜「カープに王手をかけられてしまった」ベイスターズ側のスタンド目線で、すこし辛口の記事を書いてみようと考えていたのだが、やめた。
サクサクと、おだやかな投稿にしておこう。(笑

さて昨夜のゲーム、スコアはこうなった。

横浜 000000000 0
広島 10100001X 3
 勝 野村1勝
 S 中崎1セーブ
 負 三嶋1敗
 本塁打 田中1号

得点差は3点だったものの、その数字以上に両チームに差を感じたのは、カープに勢いがついてしまったのに反比例して、ベイスターズ側にははっきりと戦意の喪失が見てとれたからだろう。

あるベイスターズファンが、そのことに焦れてしまってか自虐的にパフォーマンスシートのファンの少なさ(実際には、そのあとで満席になったようだが)を嘆いて、ついネットに投稿してしまったのも、そんな雰囲気が影響してのことだったのだろう。

そのパフォーマンスシートから、フラフラと白いタオルが舞い落ちて来たように見えたのは幻覚にちがいないが…

それにしてもファイナルに入ってカープ相手に1点も取れないベイスターズ。
ここまで来れば、ファンも「勝ってくれ」とはいわないだろうが、「せめて意地を見せてくれ」と悲痛な思いで叫んでいることだろう。

あの球場の異様ともいえる“真っ赤な狂躁”のなかでプレイしなければならない逆境には同情するが、そろそろ開き直って好ゲームを見せてほしいものだ。

いっぽうのカープ。

前の試合でのルナ選手のアクシデントは、加療3か月と意外に重傷だったようだ。
懸命なプレイをしての結果なので残念といえば残念だが、彼の不在はほかのメンバーでじゅうぶんカバーできるだろう。

そんな盤石に見えるカープのなかで、ちょっと心配なのが中崎投手。
きのうの投球を見たかぎりでは、サクサクと球が来てないようにみえました。

日本シリーズのタイトなゲームになったときにイケるかどうか、ちょっと心配。