日本シリーズのゲームがない朝が明けた。
どこか物足りなさはあるものの、それはそれですがすがしくもある。
自分がグラウンドで戦ってきたわけではないが、観戦しつづけてきたファンとしての充足感、達成感のようなものがあるからだろうか。
ペナントレースは、正直言って身が入らなかった。
ここ最近つづいているセ・リーグ各チームの低迷ぶりから試合そのものが凡庸で、レースの進展においても佳境というものがなく、カープはぶっちぎりで優勝してしまった。
かつて話題になったキンチョウ蚊取りのコマーシャルではないが
「つまらんのだ!」
そんな心境で機械的に観ているようなところがあった。
それが日本シリーズのセ・パ頂上決戦になって、ようやく勝負の面白さ、緊張感を堪能することができた。
結果は残念なものに終わってしまったが、素直に負けを認めてファイターズの強さ、巧みさ、ねばりに敬意を表したい気持ちでもある。
いまではつい忘れそうになるが、25年間カープファンはこの愉しみを味わうことができなかったのだ。
ある種の怠慢からチームをこの舞台にあげることを引き延ばして快感を倍加してくれた球団フロントにも、あらためて感謝しなければならないだろう。(笑
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ズムスタでいきなりカープが初戦、2戦を取って2連勝したときは、ついその気になってカープが4勝1、2敗でシリーズを制するだろうと予想していた。
その予想とはまったく逆の結果になってしまったわけだが、「黒田博樹投手の2度目の登板はないだろう」という予感だけは残念ながら当たってしまった。
それだけは、心残りといえば心残りだ。
覚悟していたこととはいえ、もう一歩のところで実現できそうなところまでいっていたのだから、はぐらかされた感もある。
カープの敗因をあげればいろいろあるだろうが、要はペナントレースそのままの戦い方をしてしまったことにつきるだろう。
レギュラーシーズンと短期決戦の日本シリーズの戦い方を、首脳陣がわきまえていなかったのだ。
でも、それは仕方がないことだ。
なんといっても、日本シリーズの指揮をとったのははじめてなのだから。
緒方監督本人がいっているように、これもお勉強だ。
ただ個人的に残念だったのは、『カープの日本シリーズ』を首脳陣が明確にイメージし、はっきりと提示できなかったことだ。
だから選手にはモチベーションの在所がはっきりしなかったし、ファンには明確なメッセージが伝わってこなかった。
『真赤激!』
こんなわけのわからない空念仏はいらないが、このシリーズでカープはこういう戦いを見せる、あるいはこのために戦うというメッセージが欲しかった。
ファイターズの場合はそれが、『大谷翔平のシリーズ』だったし、今季で引退する武田勝を押し出しての「勝のために」というストーリーだった。
ところがカープは、ペナントレースを制し、クライマックスシリーズを勝ち上がった「そのまま」の戦い方でシリーズに挑んでしまった。
それは用兵にも采配にもあらわれていて、ジャンソン投手への必要以上の信頼とこだわりに見られたように、最後まで「シーズンの戦い方」に殉じて沈没してしまったようなところがあった。
そこには、シリーズのモチベーションとなるストーリーがなかった。
その違いが僅差のゲーム展開で勝敗を分けたように見えた。
一応は「黒田さんのために」という思いは首脳陣にも選手間にも共有されてはいたのだろうが、それがディテールのはっきりとしたストーリーにまでブラッシュアップできなかった。
もしそれができていたならば、きっと展開はまたちがった様相を呈していただろう。
選手や首脳陣の心中を察することはできないが、たぶんきのうの試合はそれどころではなく、目の前のプレイをどうしようかという危機感と緊張とでいっぱいいっぱいだったのではないだろうか。
それほど彼らは追い込まれていたように見えた。
その緊張感やプレッシャーを「黒田さんのために」というモチベーションに転換することができなかったのだろう。
こういってはファイターズファンに失礼だが、「黒田さんのために」という旗印を鮮明にしたなら、「勝のために」のストーリーよりは強力であったし、『大谷のシリーズ』もぶっ飛ばせただろう。
そうなればシリーズの大きな流れをカープ側に引き寄せることができたのではないだろうか。
繰り言になるが、その意味では第1戦にジョンソンを投入するのではなく、黒田先発もありえたのではないかという思いは消えない。
「黒田博樹のために」を内外に宣言するために。
「勝てる投手を投入する」というのも間違いではないが、「シリーズに勝てる雰囲気を作る」という考えもあっただろう。
勝ち負けは結果だから、そのことで首脳陣を批判するつもりはないが、負けるにしても「黒田のために」討ち死にしてくれていたら、という不満は残った。
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ここ最近よく思うのは、黒田博樹は「客人(まろうど)」のようだったということだ。
他の世界からひょっこりやってきて、なにかをなして去って行く。
そんな希有な存在だ。
彼はメジャーに行く前と後とでは、まったくちがう投手だった。
人間的スケールにおいても格段に大きくなって帰ってきた。
メジャーにいかない前の黒田博樹は、「優勝には縁のないチームの、ただのエース」だった。
それがメジャーに渡って、まったくちがう投手として生まれ変わった。
速球で勝負する本格派から、心理的な駆け引き、投球技術を駆使して勝負する総合派のピッチャーへと変身してメジャー屈指の投手となった。
そのメジャーでバリバリの投手が、ひょっこりとカープというチームにやってきた。
まさにメジャーという“異界”からあらわれ客人だ。
2006年オフに黒田はFAの権利を封印してカープに残ってくれた。
しかしそのとき、カープファンは本当には黒田の気持ちの深さを理解はできていなかったし、黒田自身もいまのような黒田ではなかった。
黒田はメジャーでの7年間で着実に成長し実績を積むことで、まったくちがった投手になってカープに帰ってきた。
別人になっといってもいいほどスケールアップした人間になって復帰してきた。
そのとき彼が袖にした20億円という金額の説得力によって、カープファンは彼の気持ちの深さをはじめて知ることになった。
この客人の出現によって、カープは確変した。
成長していた若手は一皮むけ、成長過程にあった選手は背中を押された。
かつて江夏豊という投手がカープを日本一に導くためにカープにやってた“客人”だったように、黒田もカープを25年ぶりの優勝に導くために現れたのだった。
メジャーに行く前は優勝に飢えていただけの投手が、メジャーから復帰したときは優勝に導ける存在となっていた。
その黒田が引っ張ってカープは優勝への階段を一気に駆け上がった。
しかし、江夏豊のときのように日本一にまで導くことは叶わなかった。
江夏豊の場合は、その強烈な個性と圧倒的な投球術でカープを日本一に導いて去っていった。
黒田博樹は目標の手前までチームを引っ張ってきながら、最後にコト切れて引退することになった。
そして、そのためにチームにひとつの宿題を残してしまった。
しかし、この結末も黒田らしいではないか。
そう思いたいし、そう思うことで納得したい。
「あとは自分たちで、やってみろ」
その宿題が、まちがいなくカープ黄金時代の扉を開ける原動力になるだろうから……
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