セントラル・リーグのクライマックスシリーズ第1ステージは横浜DeNAベイスターズが2勝1敗で制し、ファイナルステージへとコマを進めた。
これで決戦のカードはカープVSベイスターズと決まった。
決定戦となった第3戦は延長戦までもつれ込む拮抗したゲームで、どちらが勝ってもおかしくない展開だった。
しかしなぜか、ベイスターズが勝つのではないか、という確信めいたものが戦前からあった。
それは私ばかりか、ジャイアンツファン以外のかなりのファンに共有された感覚だったのではないだろうか。
なんとなく「そんな雰囲気があった」のだ。
終盤戦のベイスターズの戦いぶりからの手応えもあったが、個人的には『揺るぎない勘』というようなものが働いていた。
「そうなるだろう」
「そうあるべきだ」
そんな運命的といってもいい感覚。
大げさになるが、ベイスターズが勝つことが“時代の要請”だったような気がする。
それは東京ドームのスタンドを埋めたベイスターズファンの青いユニフォームが雄弁に物語ってもいた。
実力と人気のどちらを取っても、両チームのポジショニングが大きく変わってきていることを思わざるをえなかった。
グラウンドでのベイスターズ選手、そしてスタンドのファンの様子には時流のトレンドを感じるいっぽうで、ジャイアンツサイドには置き忘れられた骨董のようなイメージしかわかなかった。
「ここまで魅力のないチームになってしまったのか…」
ジャイアンツファンには申し訳ないが、それが正直な印象だった。
私的には「すでに時代は巨人ではないな」そんな感覚をあらためて強く意識することになったステージでもあった。
なんといっても「坂本以外に見るべき選手がいなかった」という現実には愕然とした。
ジャイアンツ=スター軍団
そんな図式は、すでに遠い過去のものになっていたのだ。
第1戦の地上波の中継で解説者のひとりだった原辰徳氏が「ここは長打のある打者を代打に出すケースでしょう」と首を傾げた直後、控えのメンバーを見て「いませんでしたね」と苦笑したシーンに、それは象徴されていた。
本当にジャイアンツに、選手がいなくなってしまった。
江川卓、清原和博、松井秀喜…。
存在感のある選手、ファンにアピールする選手がベンチから消えていって久しい。
ムードを作れる選手、チームをひっばっていけるカリスマ性のあるキャラクターが見つからないのだ。
膝に強烈な死球を受けながら痛みをこらえて出場しつづけ、つぎの打席で意地のホームランを打って見せた村田選手の奮闘が、かえってそのことを浮き立たせたばかりで、チームとしてのまとまりという面でも、カープの得体の知れないファミリーぶりを見慣れてしまっているこちらには、なんとも寂しい印象しかなかった。
カープが全面天然芝のオープン球場に本拠地を移したとき、いずれ東京ドームの陳腐さが認識され、そこをホームグラウンドにするジャイアンツにもその影が落ちることになるだろうと予想はしていたが、それがいよいよ現実のものとなってきたのかと寂しさに襲われもした。
本来野球をするべき器と、便利と便宜が優先した“かりそめの野球場”。
そのどちらを選択するかでチームの行く末に差が出てくることは、いわずと知れたことだった。
ズムスタの素晴らしさ(ネーミングライツの採用は論外だが)は、他球団の選手たちが口々に賞賛している。
それは間接的に「こんな球場でできるカープが羨ましい」という羨望を表明しているに等しい。
その羨望がいつからか無意識の負い目に変わって、戦う前からアドバンテージになっている可能性もなくはないだろう。
また逆に、みんなにうらやましがられる球場を本拠地にしていることが、知らず知らずのうちにカープ選手の自信につながっていることも否定はできない。
それはファンにもいえることで、球場の素晴らしさがファンの拡大につながっていることは論をまたないだろう。
ロッカーが狭く、まともな風呂もなかった広島市民球場で戦っていたころ、カープ選手には拭いがた負い目があったようだが、今はそのベクトルが真反対を向いているのだ。
そういえば、今季初のクライマックスシリーズ出場を決めたベイスターズの本拠地横浜スタジアムも、来シーズンからは内野外野総天然芝のグラウンドに衣替えされるという。
もうトレンドはオープン型の天然芝球場なのだ。
かつてジャイアンツが本拠地にしていた後楽園は、もともと天然芝のオープン球場だった。
ところが1975年にカープ初優勝の舞台となった翌シーズンには、天然芝を剥いで人工芝となった。
さらに1988年には、わざわざ屋根をかけた東京ドームへと本拠地を移している。
当事者にどれだけの見識と目算があったのかは知らない。
しかし、あの一連の選択が果たして正解だったのかどうか、今になってみれば一部の関係者には後悔の念しか浮かばないのではないか。
「ボタンをかけちがってしまった」と。
1975年のカープ初優勝は、間違いなく球界の一大エポックだった。
あの時、球界の地図は大きく塗り替えられ、時代の潮目は変わった。
その潮目にジャイアンツは本拠地を人工芝球場へ、さらにドーム球場へと『進化』させていった。
球場の大型化とともにドーム化への移行は時代の趨勢のように映った。
しかし、それは上辺だけの熱狂だったことがしだいに認識されてきている。
あのころすでに“ドーム球場先進国”であったアメリカのメジャーリーグでは、ドーム型からオープン型球場へと“先祖返り”がはじまっていた。
「野球場はオープンであるべきか、ドームであるべきか?」
その議論は一応の決着を見て、「野球というゲームは天然芝の上でやるべき」であり、「青空の下で観戦するべきものである」という結論がすでに出されていたのだ。
つまりジャイアンツは、あの時から野球の暦でいえば時を逆行しはじめてしまったともいえるだろう。
いっときは物珍しさからドームは人気を博し賞賛を浴びた。
しかしあのときの“誤った選択”が、今頃に成ってボディーブローのように効いてきたとしか思えない。
時代のトレンドに外れた球場を本拠地にしているチームが、ずっと魅力的であることは難しい。
そのことを26年ぶりのカープの優勝、そしてベイスターズの躍進が反証してしまったのが、このシーズンこのシリーズだったといってもいいのかもしれない。
ちなみにパシフィックリーグは、ファイターズとホークスという、ドーム球場を本拠地としている両チームによる覇権争いとなった。
同リーグは企業努力によって人気をセントラルと拮抗するまでに盛り上げてきたが、遠からずこの器の問題が影を落とすことになるのではないだろうか。
雪深い札幌にはその理由があるにしても、大阪、福岡がいつまでもドームである必要があるのだろうか…。
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